第36章 「少年鑑別所での出会い」
はじめに
冤罪であったとは言え、初めて経験した『少年鑑別所』入り。とは言え、少年鑑別所という名称は非常に聞こえが悪く、私たち一般人には、ただ単に少年鑑別所入りと聞くと、罪を犯した少年が少年院にかろうじて入らず済んだその一歩手前の施設だという感覚があるけれど、どうやらそうではないらしい。
少年鑑別所とは、住居を離れないように少年に約束させるだけの措置として「観護措置」があり、その身柄は「少年鑑別所」に送致されるとある。と言うことは、簡単に言うと私のように、交番で職務質問などをされた時に、名前や住んでいる所や、何も話さなかった私みたいな少年を一時的に送致するような場所として少年鑑別所という観護施設があるということらしいけれど、幼い頃から体験している慣れた鉄格子の檻の中とは言え、同じ鉄格子でもこの少年鑑別所入りの時ばかりは、これほど何もかもを捨てての鉄格子生活はこの少年鑑別所以外に他にはないと思う。そんな精神状態で入ったからだったのか、この少年鑑別所に入ったことがキッカケでその後の人生に大きな影響を与えることとなっていった。
初めて大嫌いだった本を読む
少年鑑別所に入所して数日の事、とは言っても入所そのものがどれほどの期間だったかさえ今はもう記憶にはない。が、少なくとも入った翌日には出所は出来なかったと思うが、・・・そりゃ〜そうか!(爆笑)入所したある日のこと、本を読んでも良いと観察官の方に言われたかはさだかではないけれど、廊下にある本棚に整然と並ぶ、私個人としては絶対に見たくもない沢山の本棚の前に立っていた。もともと私は体育会系。中学生時代の特に好きだった科目と言えば、体育、技術、音楽、美術のこの4つ。三度のご飯よりグランドで野球などをしている方が好きだったタイプ。
そんな自分でも、唯一小学校6年生の3学期の時に貰った中学1年生から習う英語の教科書をチラ見しては、早く中学1年生になることを楽しみにしていたものだったが・・・。
中学1年生の時、英語を初めて習い始めた時はもの凄く英語が楽しかった。が、それも最初だけで、やれ動詞だの助動詞だのと文法を習いはじめた途端に英語が嫌いになったという思い出がある。しかし今では、つくづく「役に立つ英語」をしっかりと学んでおけば良かったと、後になって後悔している。そりゃ〜そうか、後になって後悔するから後悔と言うのだから・・・。
そんな私が本棚に並ぶ、何だか宗教じみた数々の本を偏頭痛でも起きそうな状態になりながらも見渡して行くとある本が目に留った。その本のタイトルは、「心 いかに生きたらいいか」というタイトルの本だったが、なんだかその時の自分の心に、「心 いかに生きたらいいか」というタイトルが胸打つタイトルに思えた。
この時の私は、「もうどうにでもなれ!」と人生を捨て、何もかもを諦めていた自分がいた。そして、それとは相反して、「誰かに助けて貰いたい」と願う二人の自分が存在していた。
人生をリセットすることができるなら、本当に生まれ変わりたいとそう願った。
何のために生まれてきたのか?
また、誰のためにこうして生きているのか?
「もうどうにでもなれ!」と投げやりになっている自分。
そしてもう一人の、「生まれ変わりたい!」と救いの手を求めている自分。
いったい自分自身はどうしたいのか?
人に、「君は将来なにになりたい?将来どうなりたい?」と聞かれても、自分でさえ、いったい自分はどうしたいのか?自分は何を求めているのか?それが分からずに心さ迷っている自分にそんな事を聞かれても答えられるわけはない。だから返す言葉もないままに、ただ黙っていた自分。それが相手には、私は「優柔不断」だと想われていたことが幾度もあった。
そんな私の目に何気に止まり、何気に手にした1冊の本。タイトルは、「心 いかに生きたらいいか」その本の裏表紙を見ると、そこにはお坊さんの写真。
「ゲッ!なんだぁ!!」と思うも、次には「やっぱりかぁー!」と・・・。と言うのも、私の母はある宗教に入り信心していたのだけれど、いつも私の顔を見れば、「お前もやりなさい!そうしたら守られるんだから!」と、大沼学院入院中の冬に家へ帰省して正月を楽しく過ごそうとしている私に対しても口うるさく言っていた母。
私が学院を卒業して社会に出てからも、母と一緒に暮らした短い僅かな月日の間にでも、とにかく母は口うるさく、「お前も信心しなさい!お前も信心すれば必ず幸せになれるんだから!」と、まぁ〜ま、随分と言われたものでした。
その度に、私は「俺は神の存在を信じるという意味で、神心は理解できる!でも信心はやらない!」「そんなもん、強制させられてするようなものじゃないだろう!?それに本当に善いものなら、そんなに斡旋しなくても誰もが皆・・・」と、何だか、さも知ったかぶりして母と口論したものだった。
後に、この事についてあらためて書く時が来るとは思いますが、母のその強い信心とその思いは、私とは父親違いの今は亡き妹、その妹が生まれながらにして身体障害児としてこの世に生まれてきた子だったからなのです。
生まれて直ぐに医者から、「もっても6ヶ月」と宣告されてこの世に生まれてきた妹。その妹を絶対に死なせてなるものか!と周囲の反対を押し切り、信心し、そして祈り続けた母。
その甲斐あってか、生まれて余命6ヶ月と宣告された妹が幾度の大手術を受けながらも、体内が病気に侵され腐っていき続けているその中で、なんと妹は、41歳まで生き続けてくれました。が、そんな妹の命の灯火を消してなるものかと、必死に祈り、そして願う母にとってその支えが一つの宗教であったことは、後に、離れて暮らす私の頑なに宗教を拒むその心をも動かしました。それもやはり母がそれを信じ、そしてやり続けたという継続性があったからこそですが、だからこそ私自身にも、ある時ある気付きがあったからです。
しかし、当時の私にはそんな気持ちなど微塵もありませんでしたから・・・。
宗教に頼る人などは、それは単に自分が弱い者だからだ!そんなのにただお願いしたからって何も成就する訳ではない!と思っていた当時の私にとって、そんな自分が、その本の裏表紙に映るお坊さんの写真を見て、「やっぱり!!!」と思ったのは、「こんな少年鑑別所に来てまでも、お袋は俺にやりなさいと云っているのか?」と思ったのです。
「どうしてこんな所に来てまでも大嫌いな仏教が俺につきまとうんだ!」と・・・。
しかしそうは思っても、その時の私は、きっと心のどこかで、仏教や宗教的な何かを受け入れられる自分が居たのでしょうね?きっと・・・。今でも不思議です。
決して会うことの無いお坊さんとの出会い
そうして手に取った1冊の本を持って、鉄格子の部屋に戻りあらためて正座をしながらその本のページを開きはじめました。1ページ1ページを丁寧に・・・。●タイトル:心(こころ)
●サブタイトル:いかに生きたらいいか
●著者:高田好胤(たかだこういん)
そして、その本を書いた本人らしき著者の写真が載っていましたが、そのお姿はやはりお坊様の格好で、その写真に写るお坊さんの顔もまだ若く、そして手を掌わせたお姿で載っていましたが、有名なお坊さんなんだなぁ〜と感心することよりも、「凄いな〜若いお坊さんがこうして本を出しているなんて」と思いましたね〜
ペラペラと目次を開くと、最初の章の中表紙には、「第1章 心に種をまく」という見出しが目に入りました。そしてその中表紙を開くと目に飛び込んできたのは、「人と人とのつながり/信念と観念」という見出しでした。
なんだかその時の私にとっては心打つタイトルや見出しだったのですが、
でも、「いや〜難しそうだな〜、やっぱ違う本に変えてこようかな!?」と思う自分と、
「おいおい、きっとお前に最後まで読めよってこのお坊さんは云ってるのかもしれないぞ!それに、難しい漢字や意味の分からない言葉があれば一つ一つ調べても最後まで読めよ!」と云っているのだろうと勝手に想像しているもう一人の自分との、そんな二人の自分が格闘してましたね〜
とにかく、その本は最後まで読むことができました。
生まれて初めてです。自らがすすんで一冊の本を読み切ったのは。
それに、読み続ければ読み続けるほど、涙が溢れ出てきたその時のことは一生忘れはしないでしょうね〜。
その溢れ出るその涙が、まるで自分の体内に潜む悪いモノが涙となって出て行っているように感じたその時の感覚。そして涙が出なくなるまで泣けるのなら良いな〜と思ったこと。
そして泣きたくてもその涙が出てこなくなった時、自分の体内に潜む悪いモノすべてが自分の身体から出つくしてしまうのではないだろうか?と思ったこと。
そうして出る涙なら、また、感動して流す涙なら、それほど素晴らしい涙は他には無いな〜と私なりにそれは今でも思っています。だから、男はどんな時でも泣くんじゃない!ということに対して、私は「味噌も醤油も一緒か!?」と反論してしまいたくなります。理屈じゃない!と・・・。
どれほど泣いたでしょうね〜。そんな私の姿を看て、監視官の方みたいな方が、「そんなに落ち込んでいてもしかたないよ。少しでも食べなくちゃ!?」と優しく声を掛けてくれましたが、その時の私は落ち込んで泣いている訳でも、お腹が減っていた訳でもありません。ただ、食べ物を受け付けない精神状態であっただけです。
その本を読み切ってからは、本棚から「高田好胤 著者」という本を探しまくりましたが、私の記憶では確か他にもう一冊有ったように思いますが、その本のタイトルも、また、その時に読んだ記憶もありません。が、確かもう一冊を読んだような・・・。
そうして読んだその本を、いつの日だったかは記憶にはありませんが、数年後、記憶力の悪い私がある日突然思い出したかのようにその本を探さなくては!と本のタイトルを思い出し、何件もの書店に行っては探しまくり、そして同じ本を見つけ出しました。
その本は、気がつけば今でも私の傍で何十年もその後は一度も開かれることなく私を見守っていてくれていますが、様々なことがあり、そして幾度も住む場所や様々な物を処分してしまっているその中で、唯一、今でも残っている物のその一つにこの本があります。
気づいたらず〜っと一緒でした。
どうしても捨てられない理由が当時の私にはあったのでしょうね〜・・・。これもまた、私自身が救われていると思っている中の一つです。
審判が下り、その場で保護観察処分と・・・
そんな本との出会い。そしてその本との出会いが無ければ、その後の自分はいったいどうなっていたことやら・・・。本当にそう思いますよ。助けられていたのだと私はそう思っています。
この当時のことは、本当につい最近ですが、母の体調が思わしくなくなったある日のことです。もしかしたらこのまま母は、・・・と想った日が十数日間続いたその時に、母と切実な会話をした中でその時のことを話すこととなりました。が、今、こうして母と同じ信心を出来る様になったのも、その時の高田好胤というお坊さんの書いた本との出会い、そしてその本との出合う機会となった少年鑑別所への入所があったからこそ。
確かに、大沼学院入院(当時、教護院)、そして少年鑑別所への入所が後の社会復帰や進学、就職にはとても影響しましたが、しかし、それもこれも、今ではそれらに本当に感謝しているんだということを母に話しておきました。だから生んでくれた母に感謝していると・・・。
余談になってしまいましたね〜。この少年鑑別所での生活が何日続いたかは記憶には全くありませんが、後に札幌家庭裁判所へと窓に鉄格子の付いたマイクロバスで護送されました。その道中、信号待ちで停まる護送車を、同じく信号待ちで停まる周囲の車の窓からこちらを覗き込む人たちの眼。とても恥ずかしかったな〜・・・。
辺りの人達がこちらをジロジロと見ているその眼は、まるで身体障害者の妹を連れて二人で街を歩いているときに浴びせられたような眼。嫌だったぁ〜・・・。
顔を隠そうと背を向ける自分の恥ずかしさ・・・。
私にとって、その時の恥ずかしさは強烈でしたね〜。今ではそんな護送車の窓もスモークガラスになっていて、中が殆んど覗けない感じになっていますものね〜。その時代は、窓はそんな加工がされたガラスではありませんでしたよ。
そうして札幌の街の中を走行する護送車が大通り公園を横切り札幌家庭裁判所の裏口に停まり、そこから家庭裁判所の中へ。
その後の審判は全く記憶に残っていません。結局保護観察処分となり、入ってきた同じ裏口から一人で、「いったい自分はなんだったのだろう?」と不思議に思いながら歩いて家のある豊平に向かって帰っていったその時の自分の姿が微かに記憶にあるのは何故だろう?
それってどう考えても不自然なんですが、でも、一人で帰った記憶が残っているんです。
しかしおかしなことで、私はまだ未成年者でしたから審判の時には親か保護者かが必ずその席には来ていた筈。たとえ同席していなくても傍聴はしていた筈。なのにその人たちの、ただの一人の記憶もないんです。全くです・・・。
おかしな話なんです。自分でも本当に矛盾だらけで・・・。
記憶のところどころに大きな穴が空いているのですが、自分でさえ、そんな自分の現象が不思議で・・・。
家庭裁判所からそのまま家に帰ったことの記憶に間違いはないですが、しかしながら、その場に親や保護者などがいなかったなどということはあり得ない話で、私の親はもしかしたら、私と顔を合わせることなくサッサと帰ってしまったのかもしれません。
いずれ、その時のことを機会があれば、きっと母が口を開いて話してくれることがあると思います。そのことで、所々がスポーンと抜けている記憶が一つ一つ繋がってゆくのかもしれません。
こうして自分の将来も、何もかもを捨てるつもりで、「めんどくせ!もう、どうにでもなれ!」と投げやりになった挙げ句に入った少年鑑別所。しかし幸いなことに、その少年鑑別所での一冊の本との出会い。そしてトイレに落書きされた一本の電話番号。
どちらの出会いもその後の私の人生に大きく関わってきています。が、それと共に、それに関わる人たちもいるわけで・・・。
その人たちの関わりにつきましては、私が命ある限り最後まで自分の胸の中に閉まっておかなくてはならないことが有ることは言うまでもありません。
私がこうして書き続ける上で、私にはとても大きな責任があります。それは、自分ばかりの人生では無いからということ。今後もこうして書き続けるのならばなおのこと、それを十二分に踏まえた上で書いてゆかなければと思っています。
家庭裁判所で保護観察処分となったその後の私の身は、当然のことながら保護司の観察もとで生活することとなりましたが、その時のことは次回の更新の際に掲載したいと思います。が、その後の数々の「こんな人生だからこそ」を公表してゆくことに、正直、かなり躊躇いを感じているのが今の私の正直な気持ちです。
すべてに於いて、「やり通す」「やり切る」という事の、「継続こそが力なり」というその言葉の意味の深さに、少しめげそうになっている今日この頃です。
今回はこの辺で失礼いたします。
今回もまた、最後までお読み下さり、ありがとうございました。
荒町 真樹生
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