まきおの『こんな人生だからこそ』

第35章 「べっかん行き〜」

はじめに

 このときの事は私にとっては、一つの「人生の岐路」であったと思う。・・・
 このときの私にとって、その後の就職や社会復帰にはとても大きな支障となってはいったが、しかしその時の自分にとっては、先の事などは、もう、どうでもよかった・・・。

 何もしていないことで犯罪者になろうが、
 何処に送られようが、そんなことはどうでもよかった・・・。

 もう、「どうにでもなれ!」という思いで人生を捨てていた・・・。
 それが『災い転じて福と成す!』とでも言おうか・・・そんな経験をこのときにしたのだった。

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もう、どうにでもなれ!

 第34章の続きとなるが、結局、二人は岩見沢の駅前の交番に連れて行かれた。
 そして警察官に質問攻めに遭う。

 「名前は!?」
 「親は!?」
 「住んでいる所は!?」
 「言わないと帰れないんだぞ!」と、

 そんな事をただひたすら聞かれた憶えがあるが、
私はだんまりを貫き通した。もう、どうでもよかったから・・・。

 これから先、「どうせ自分はロクな者になりゃしない!」

 それに、「家に帰されたからといって優しく迎え入れてくれる訳でもない!」

 それどころか、「またオヤジにヤキを突っ込まれる!」と思っていた。

 「そんな家になんか帰りたくもない。
だから自分を知らない何処か遠い所へ、誰にも会わずに行けるものなら行ってしまいたい!」

 「何処かへ連れて行かれるのならその方がず〜っとマシ!」

 「どうせまた、教護院か少年刑務所だろうさぁ!」と・・・。

 学院へ入院当初は確かに辛かった。けれど次第に学院の生活にも慣れ、約6年ほどの入院後の「社会に出てから数カ月経った辺りから」は、すっかり学院生活の方が今の生活よりよっぽどマシだと思った時は幾度もある。

 それに学院での団体生活にはすっかり慣れていたし、
 「何処に入ってもリンチなんかはどうってことない!」と想っていた。

 そんな自分に、「親に連絡が取れれば、迎えに来て貰って帰れるんだぞ!」みたいなことを言ってはくれる警察官だったが、・・・私はだんまりをきめていた。

 ○○○はし君は直ぐに奥の部屋らしき所へと連れて行かれて別々に取り調べ。
 いったい○○○はし君はあれから何所へ?・・・。

 この時が○○○はし君との最後の別れとなったが、
 彼は今いったいどうしているのか?・・・。

 警察官は私の曖昧な話を基に調べることができたのか?
 それとも○○○はし君がバラしたのか?
 結局は私の身元はバレ、警察官が私の親の所に電話をした。

 電話の向こうで話している相手はどうやらオヤジらしい。
 いつもならまだ工事現場にいる時間な筈なのに、確かに電話の向こうで話している相手はオヤジの感じ・・・。

 「ヤバー!なんでオヤジがこんな時間に会社に居るんだ!?」
 「よっぽど俺って運が悪いんだなぁ〜」と思いましたよ。本当にもぅー!

 警察官とオヤジとの電話のやり取りを、私は電話機から少し遠い処で椅子に腰かけながら耳をダンボにして聞いていた。

 会話の内容は聞こえはしないけれど、警察官が何やらタジタジになっている様子。

 そうして、
 「いいんですか?本当にいいんですか!?」と警察官が聞いているんだ。

 その時の警察官の動揺している様子が私には一瞬不思議に思えたが、
どうせオヤジは、「そんなくそガキ!自分の子でもなければ親でもないから、何処にでもぶち込んでくれやー!」とでも云っているのだろうくらいにしか思っていませんでした。
(毎度のことでしたから・・・。)

 そんなことを平気で言うオヤジだったことぐらいはこちらは百も承知!
 それに自分だって、そんなオヤジの所へなんか戻りたくもなかったし、自分の本当の親でも無い訳だから、そんなやり取りは「へ」とも思っていませんでしたよ。
 どこに連れて行かれてもオヤジの所よりはマシだと・・・。
 学院での約6年間のあの厳しい寮生活を経験している自分にとっては、どんなに厳しい所に連れて行かれても「へ」でもないと想っていたわけです。

 それから数カ月経ってからのことですが、この時警察官と話していたのは実はオヤジではなくお袋だったことを知りました。

 お袋がその時、警察官にどう云っていたかも知りましたが、
 「そんな悪ガキは少年院でも刑務所でも、何処にでも入れてしまってくれていいですから!迎えになんか忙しくて行けないですから何処にでも入れて下さい!」って怒鳴っていたそうです。と、その時の事を傍にいて聞いていた帳場さんから話を聞きました。

 お袋は、てっきり私がまた何かをしでかして交番に引っ張られたのだと想っていたそうですよ。それと、帳場さんが付け加えてお話してくれた事がありましたが、
「まきおのお袋さんは、警察が話す内容をよく聞きもせず、お前がまた何かしでかしたとばかり想い込んで怒鳴っていたぞ。」という事と、話の最後に、「お前は可哀想になぁ〜」と言われてしまいましたよ。

 でも、「お前は可哀想になぁ〜」と帳場さんに優しい言葉を掛けられても、
私は、「うっせー!俺は可哀想な奴なんかじゃないわい!くそったれー!」と、腹の中でそう叫んでましたね。まだまだこの頃の私は、そんなアホな奴でしたよ・・・。

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お袋の胸の内

 そんなことを後で知り、また、三十数年経ってから、そう、ごく最近のことですが、この事についてお袋と話す機会があり、その時のことを改めて聞いてみましたが、お袋にとって、この事もまた「胸に痞える一つの苦しみ」だったそうです。

 その話を聞き、そしてお袋の辛かった胸の内を知り、その時お袋に云いましたよ。
 「でもね〜母さん、その結果『べっかん』へ行ったけど、」

 お袋、
 「兄ちゃん、べっかんって?」(お袋は私の事を、兄ちゃんって呼ぶのです。)

 「あっ!『べっかん』ってね、○○所の略で、仲間内では○○所の事を『べっかん』って言うんだよ。」ハハハハァ〜(苦笑)

 「兄ちゃん、実はそのお陰で、偶然かもしれないんだけれど立ち直る事が出来た一つのきっかけがあったんだぁ〜。確かに進学や就職をしようとしたときには大変な支障になったけどね!(爆笑)でも、今ではほんとにあの時『べっかん』へ行って良かったと思っているんだぁ〜。」

 「だからこれでやっと母さんも、胸に痞えていた苦しみ一つを取り除く事が出来るね〜」

 と、そんな事を会話をつい最近しましたが、その時に改めて、お袋も辛かったことに気づかされましたよ・・・。

 そんな話ができたのも一つのキッカケがあったからですが、
こんな時でもないと、心の奥深い処にガッチリと蓋をして仕舞い込んだモノを話すことなど、なかなかできませんからね〜。
 お袋とそんな話が出来たことに感謝をしています。

 さて、母との会話の中で出てきた『べっかん』とはいったい何所か!?
 皆さんがご想像している所と言えばそれは刑務所でしょうね〜・・・。

 ですが皆さんのご想像と期待に背いて何なんですが、
 その『べっかん』とはそれは○○所の略ですが、一般の方には分からない所だと思います。

 が、それもそのはず、教護院で先生をされていた先生でさえ、また、ご縁があってお付き合いすることがあった弁護士の先生でさえ、私が「べっかん」って言ったら「エッ!?」って・・・。何の事なのか?何処の事を言っているのか分かっていない様子でしたから、一般の皆さんには当然分からなくて当たり前だと思います。

 この「べっかん」と言う所がいったい何処なのかが分かる人は大変珍しいでしょう。
 それが分かる人は、よっぽど少年法についての知識が豊富な方か、或いは、「べっかん」にお世話になった経験の有る方かもしれませんが、それくらい、ごく限られた者達の間で使われる名称の略です。

 その「べっかん」という名称の正式名称は、
 それは『少年鑑別所』の事を意味し、私も入所してから知りました。

 結局、私のこれまでの道のりは、
あっちの親からこっちの親へ(養子等) → 児童相談所 → 児童自立支援施設 → 別鑑(少年鑑別所)と辿るべき道を歩いてきたのですが、こうした道のりのその先は、やはり一般的常識で見て、その先はやはり「少年院 → 刑務所」でしょう。

 もちろん、私も社会に出てからある時期には、
「刑務所に入った方が衣食住で困る事が無いから、こうして世間に居るよりもよっぽどマシだな!」とさえ、本気で想ったこともシバシバ・・・。

 学院を卒業して行くその時は、満ち溢れるほどの夢と希望を持って社会に出て行こうとしていたのになぁ〜・・・。

 私はこの事件で「少年鑑別所」に入れられたんです。それも冤罪でです。
 ですがその時の私にとっては、冤罪であろうが何であろうが、そんなことはどうでもいいことでした。家にだけは、・・・家にだけは戻りたくはなかったんです。
 それさえ叶うなら何処でも良かったんです。
 例えそれが『刑務所』であろうとも・・・。

 この時の犯罪歴は今でも残っているようです。
 その時の私の供述書には、私自身、もの凄く興味が湧きますね〜
 どんな供述書となって書かれているのか?・・・興味深々ですわ。

 別鑑に連れて行かれた時の事ですが、その時の車種がパトカーだったのか?或いは窓に鉄格子の付いたマイクロバスだったか?はさだかではないんです。が、はっきり憶えているのは、別鑑に数日入れられた後、別鑑から裁判所に連れて行かれた時に乗った車が、窓には鉄格子の付いたマイクロバス。

 そして、そのマイクロバスの窓から覗く「札幌家庭裁判所の玄関」風景はハッキリと憶えていますよ。

 思い出としては良い思い出とは言えませんが、やたらその時の札幌家庭裁判所の玄関風景がクリアーに記憶に残っていますね〜・・・。

 岩見沢の交番から、どの様な乗り物で旭川の少年鑑別所に護送されたのかはまったく記憶に無く、記憶と記憶とが結びつかない矛盾を感じているのですが、岩見沢の駅前から旭川の鑑別所までの道のりだったとすれば、チョットした長い時間のドライブだったはずなのに、憶えていないんですね〜・・・。

 まさか!?岩見沢駅前の交番は実は旭川駅前の交番だったとか!?
 はぁ〜?って感じですが、この事に興味がある方は是非調べてみて下さい。
 その時の資料は今もなお残っているようですので。(お暇なら)

 まぁ、私にはそこが岩見沢の駅前だったか旭川の駅前だったかなどはどうでもいい事で、私の記憶には「岩見沢の駅前」だったと記憶している。それだけです。
 私にとって、そこに何の意味などありません。
 それに、冤罪であった事ではありますが、その事に、今となってはまったく恨みもありませんしね〜。

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旭川少年鑑別所の生活

 なんらかの車で旭川少年鑑別所へ護送され、その施設の門まで来た時の事です。

 そこは何処なのか?分からないまま車に乗っていて、どうやら目的地に着いたような気配を感じた時、車内の窓から目に映るその施設の門のデカい表札には、「旭川少年鑑別所」という文字が書かれてあり、「はぁ、旭川?旭川少年鑑別所!?初めて聞く名称だ!」と思いましたね〜。

 そしてその時の記憶が他に3つ。
 1つ目は、
 その表札を見ている自分の視界に入っている車の一部分。
 (パトカーの左フェンダーらしきボディーとフェンダーミラー)
 でも、この時パトカーで護送されたという記憶が全くないのは何故!?

 2つ目は、
 その表札を見て、「表札は大きいけど、この表札より俺が学院で彫った『芳泉寮』という表札の方が彫り方上手いんじゃないか!?」と感じたことが一つ。

 そして3つ目は、
 「あれ!?学院に入る前に、一度来たことが有る様な無い様な???・・・。
 何だか学院と同じ感じだぁ〜」と、妙な感覚があったことが一つ。
 (門を入るとその施設の窓には鉄格子が・・・。)
 これらの3つの記憶だけが妙にはっきりと残っているのは何故だろう?・・・。
 この時はじめて、私も「少年鑑別所(べっかん)」の存在を知りました。

 鑑別所に行った経緯は、まるで、「そんなことで行く訳ないだろう〜」と想われるかもしれないでしょうが、あるんですよ!そんな嘘みたいなことが現実に!!
 一般常識では考えられない非常識な事が!
 【事実は小説よりも奇なり】と云うようにね。

 罪を犯してもいない人がある日突然、「お前が犯人だ!!」とされ、犯罪者として扱われ、仕事も、家庭も、何かもすべてを奪われてしまうそんな事が・・・。
 けして人ごとではないのです。

 私はこの事件では、罪名も供述書の内容さえも知らぬまま冤罪で少年鑑別所へ護送されての御用!

 鉄格子のある部屋に入れられ、数人が居れるような広さがあった様に記憶している。
 後で、○○○はし君がここに来るのでは!?と微かな期待をしていたが、彼とは二度と再会することはなかった・・・。

 私はその部屋で、ず〜っと正座したままだった。
 そして何日入っていたのだろう?鑑別所にいる間、私はただの1食も食事を摂っていないと記憶している。ただの一度も・・・。(このまま死ねるなら、本気で死ぬつもりでいたから。)
 それに、ここで死んだらちゃんと後片付けだけはしてくれると思って安心して死ねると思っていたから・・・。

 鉄格子の下から配給される食事に一口も手を付けずにいると、
監視員が鉄格子の前に来ては、「一口も手をつけてないじゃないか!?駄目だぞ、一口でも 食べないと元気出ないぞー!」って言われたことを憶えていますよ。

 何日間だったのだろう?
 札幌家庭裁判所へ護送されるまで一口も食事を摂らないでいたけれど、いったい何日間だったのだろう?・・・。

 そうして絶食していたその時に感じた事は、「人間って数日食べないで居たからって簡単には死ねないんだな〜」ということを実感しましたよ。

 仲間二人で釧路から札幌に向かい歩き続けた時にも感じましたが、
この鑑別所での時は、「俺って不死身!?それとも宇宙人!?」って、本気で自分が不思議な生き物にさえ思えてましたね〜・・・。

 この後も、社会に出てから数日間食べられないで過ごしたという経験がありましたが、
どうしてどうして、人の生命力っていうのは凄いものですよ〜本当に!

 この時の自分を、今、こうしてあらためてその時の自分を振り返ってみても、
本当に、もうどうでもいい自分がそこに居た。
 魂の消えた様な自分がそこに居た。

 18歳にも満たない少年が「人生に疲れたぁ〜・・・」と嘆き、
そして生きる意欲も、夢も、希望も、何もかも、
「もう、どうでもいい!」と鉄格子の部屋の中で正座して死を考えている自分。

 でも、なんで正座し続けていたんだろう?・・・
 正座していることが規則だったからだろうか?・・・
 ず〜っと正座をしていろと言われたという記憶さえも無い。

 チョット汚い話になるけれど、ハッキリとある記憶の中に他に一つ。
 ある時トイレに行っている。
 部屋に備え付けのトイレに、・・・それも大便をしに。

 大便をしに入ったその仕切り壁には沢山の落書きがあった。
 そしてその落書きの中に、「人の名前」と「電話番号」が数個書かれてあった。

 私はその数個書かれていた人の名前と電話番号の中から、何故か一つだけを記憶した。その、何故か記憶した一つの名前と電話番号から、後に実際にその方と会っているが、人と人とのご縁とは、本当に不思議なものです・・・。
 また、私にはその人との縁が無ければ、やはり今の自分もまた存在しないだろう〜・・・。

 今回もまた、最後までお読み下さり、ありがとうございました。

荒町 真樹生

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