第32章 「何のために釧路へ・・・」
はじめに
私の育ての母親に頼みこんでの「旅立ち資金」5万円を貰い、仲間3人、夢と希望を抱きながら釧路へ・・・。そして釧路で待つ仲間との再会。いずれ札幌に戻るそのときには一旗あげたその姿を、みんなに見せて自慢してやろうと思って夢を膨らませて行った釧路の筈だったけれど・・・。
しかしその旅立ちも単なる懐かしい仲間との再会でだけで終わってしまい、そして資金も使い果たし・・・。
自然に身についた知恵
そう言えば、この釧路へ行った時に履いていた靴は茶色のブーツ。踵が5センチくらいあるハイヒールのショートブーツで、私と同世代の方なら想像がつくと思いますが、野○五郎がデビュー当時に履いていたような靴で、この時は私もそんな靴を履いていました。それも新品で、私の唯一のお気に入りの一足。そんな靴を履いて釧路へ行ったわけですが、私にしてみればそんな新しいお気に入りの靴を履いて旅立つことが、「自分が生まれ変わって戻ってきたい!」という想いが強くありました。そう、「生まれ変わって戻ってきて、みんなに自慢できる自分で戻ってきたい!」という思いが・・・。
しかし、電車代と食事代、そしてボウリング代ですっかり資金を使い果たしてしまった今、私達3人には他に行く当ても無く、結局、札幌を目指して歩きはじめました。
馬鹿げた話です。他の二人はともかく、私は本気で歩いて札幌に戻るつもりでいましたからね〜。本当の本当に!
地名は憶えていませんが、釧路の駅前から歩きだし、街外れで橋を渡り、そして札幌方向へと向かって遠々と歩き続けました。
どの町を通り過ぎたかは憶えてはいませんが、早朝から歩き続けてどれほど歩いたのだろうか?陽も暮れて辺りが暗くなり始めた頃、「このまま歩き続けたのでは後ろから走ってくる車に轢かれるかも知れない!このまま歩き続けたのでは危ないから、何所か寝れる所を探そう!」と、キョロキョロと辺りを見渡しながら眠れる場所を探しながら歩いていました。
そう言えば私達には変わった習慣がありましたね〜・・・。
昼間歩道を歩くときは対向車線側の歩道を歩き、深夜歩道を歩くときにその逆の、車の進行方向と同じ側の歩道を歩くという習慣がありました。が、それは誰に教わったわけでもないのですが、深夜に対向車側の歩道を歩かないのは、単に対向車のヘッドライトが眩しいからではなく、ヘッドライトの明かりで私達が少年である事がいち早くバレてしまうという事を避けてのことでした。
もしそれが、巡回中のパトカーだったなら即座に呼び止められ、職務質問をされて補導されるという恐怖感があった訳ですが、そんな知恵も自分たちが知らず知らずのうちに自然と身についているんですね〜・・・。
現にそうして歩いていて、それも2度、同じミニパトが、歩いている私達の横を徐行して通過して行きましたが、その2度目には流石に私達も逃げて隠れましたからね〜・・・。
本能的と言うか、何と言うか、「匂い」がするんですよ。危険(サツ)の匂いが・・・。
それに、前方からパトカーが来たのが判ると必ず左へと逃げる習慣がありましたね〜・・・。それにも私達なりに理由があり、昼間歩道や車道を歩くときには必ず道路の左側を歩く習慣がついていましたよ。それはパトカーが私達に気づく前に私達の方が先に気づけることであり、万が一、たとえ追っかけられたとしても、それにはパトカーは必ず対向車線を一度横断しなくてはならないのですから、逃げるタイミングは車が行き交ってそこで少しの時間の立ち往生の間に少しでも遠くへ逃げられる時間を稼ぐためということですが、そんなことが誰から教わった訳でもなく、自然に身についていましたね〜。
人間の知恵って凄いですよね〜・・・。
幼い頃に身についた眠る時の習慣
そんな神経を働かせながら歩き続けたら、陽もどっぷり沈み、「そろそろ一晩を過ごす場所を見つけなければ・・・。」と、キョロキョロと辺りを見渡しながら歩き続けていたら、少し遠い先の向こうに人が暮らして居なさそうな小屋を発見!「おい!あったぞー!あの小屋、見てみようぜ!」と、辺りに人の気配を無いかを確認しながら小屋に近づいてみると、どうやら今は使っていない工事現場の事務所のような小屋。
メチャ汚れた小屋の窓から中を覗くと、よく土木工事現場で使う様な汚れたウエス(ボロ布)が散乱していて、そして棚の上にはヘルメット数個と、こ汚い作業ジャンパーが一つ。
とても今現在使っている小屋とは思えない事を察知し、早速中に入るために窓のこじ開け開始!
昔のそんな小屋ですから、プレハブではなく「掘っ立て小屋」。窓の形状は引き窓で、カギはロック機能の付いていない回転式の引っかけ鍵ですから、そんな鍵をあけるのはお手のもんです。
その方法はここでは明かす事はできませんが、ロック機能の付いていないそんな回転式のカギを外すなんてことは簡単なことでした。これも古い構造の建物であった学院に居たからこそ身についた知恵ですが、そんな悪知恵もその後私が建設に携わっていた時代に、日高のダム工事に数週間出張で行っていた時の事です。道具小屋から今直ぐに道具を出さなくてはならない緊急時があり、その時に、その悪知恵が役に立った事がありましたが、その現場にいた職人達は一様に驚きました。しかし時が経つにつれてその感情も驚きから感心に変わり、そして、「そんなやり方、何処で覚えた〜?」って不信感を持たれたのは言うまでもありません・・・。
そうして小屋に忍び込み、ウエスやら何やら、とにかく体を少しでも暖められる物なら何でも。どんなに汚れていて汚い物でも、床に敷いたり体にかけたりしながらも若干の肌寒さを感じながら3人で一晩をその小屋で越しましたが、季節は初秋の事だったと思いますが・・・。
その日は3人で何か会話でもしたのやら、直ぐに眠ってしまったのか、その時の事は憶えていませんが、何か話したのでしょうか?
それとも3人とも歩き疲れていて、何の会話もせずに寝入ってしまったものなのか・・・。
唯一つ覚えている事は、これは私の小さい頃からの癖のようで、眠るときはいつも、特に寒さをこらえて眠るときには体を横にして、それも必ず右肩を下にして、膝でお腹を包み込むように体を丸め、そうしてオデコを膝にくっ付けて、そうしてお腹に向けて息を吹きかけてやることで、お腹を温めながら眠る癖が付いていましたね〜・・・。
なんでそんな眠り方になったのか?その原因は私には分かってはいますが、その他に、幼い頃からお腹が痛くなる事は日常茶飯事で、その度に両手で拳を握りしめてお腹に強く押しつけてやることでお腹のその痛みが瞬時に消えて無くなると思い込んでいましたが、そんな行動も、幼い頃の自分の下腹部にはいつもレンガ色のゴムバンドが着いていましたが、早い話、「脱腸」だったんですね〜・・・。
そんな幼稚園児の頃、頻繁にお腹が痛くて苦しい思いをしていた時の事を思い出しますが、その度に体を丸めては拳を握り締めてお腹を力いっぱい押していました・・・。
きっとそんな事も、体を丸めて眠るようになった要因の一つなんだな〜と思っていますが、冷え切った部屋で眠りにつくときなんかは、今でも体を猫の様に丸めて眠りにつく時がありますが、そんな時、幼い頃の自分を思い出します・・・。
悲しいかなその頃の思い出で、『いい思い出』はありませんね〜。
寂しくて、悲しい時の事ばかりだけが記憶に残っていて・・・。
歩き続けてあの橋に・・・
翌朝、冷え切った体で朝早く目が覚めて、外に出てみると辺りの草木には霜が降りていました。3人は体を温めるのにと小屋の周りをグルグルとマラソンをした事を思い出しますが、学院生活では毎日の朝の日課でしたから、苦になどなりませんでしたが、いったい小屋を何周したっけなぁ〜・・・。憶えていないけれど懐かしいなぁ〜・・・。
そうして直ぐさま、車がまだ少ない時間帯に少しでも田舎道を渡りきり、次なる町に辿り着こうと3人は歩き出しました。
どれだけ歩いただろう・・・。
本当に、あの時何十キロ歩いたんだろう・・・。
早朝からず〜っと歩き続けて夕方、3人は何も口にせず歩き続けていましたから、お腹が空いていたなんていうものではありませんでした。
あのまま歩き続けていたら、きっと悪さ(盗み)をしていたでしょうね〜・・・その時に、あんな不思議な事がなかったなら・・・。
その、『あんな不思議な事』と言うのは、あれは本当に、今でも、「きっと誰かが・・・。」
「もしそうでなければ、本当に神様が!?」と、そうとしか考えられない出来事がありました。
それは私達が延々と国道を歩き続けていた時のこと、3人ともお腹が空いて空いてどうしょうもなく、ただこうして国道を歩き続けていたのでは食べ物には絶対にあり付けないという事を感じていました。
そんな時、札幌方向に向かいながらも国道から反れ、「民家の在りそうな所で・・・」と、誰が言い出したかは憶えてはいませんが、「何でもいいから食べ物を盗もう!」という空気になっていましたね〜。 以心伝心というやつですよ。
しばらく国道を歩いていると、何やら右先に、その道を行けばその先には小さな村でも在りそうな道を見つけたのです。
道の形状から、「このままその道を歩き続けたとしても、きっとまた元の国道に出れそうだ!」といった舗装された細い道を発見したんです。
3人は、まるでその道にでも導かれるように国道を反れ、その道へと進路を変えたのです。そのまま歩き続けていると、その道の先には小さな橋があり、そしてその向こうには民家が数軒在りそうな感じのいくつかの屋根が見えていました。
「やったー!どうやら食い物にありつけそうだぁ!!」
想いましたね〜。思いっきりそう想いましたね〜・・・。とは言っても、所詮は「盗み」ですが・・・。
私達にとって山や畑や家の周りは、「食べ物の宝庫」です。
と言うのも、学院時代、山や野原に行っては山ブドウや野イチゴ。寮の畑からはキュウリやトマト。寮の裏で干してある大根などが季節毎に何かかにかありましたから、3度の食事だけでは満足のしないお腹を癒すのに、深夜に寮を抜け出しては盗人していましたから、この時のワクワク感を覚えていますが、いったいその時の自分の顔はどんな顔をしていたのか・・・。メチャクチャ「悪がき」そうな顔にでもなっていたんじゃないですかね〜。
そうして3人は、やっと「食べ物にありつけるー!」という期待を膨らませて、道先に見える民家を目指して歩いていた時のことです。
さしかかった小さな橋を渡りはじめた頃、橋の中間辺りに何やら紙切れが1枚。
ゴミか何かの端きれの様に見えた紙らしき物が1枚落ちているのを見つけたのです。
そうか〜、その時先頭で歩いていたのは自分でしたね〜・・・。もしかしたら、盗みの言い出しっぺはもしかしたら自分だったかも知れませんね〜・・・。
いつもながら昔の思い出の記憶をこうして辿りながら書いて行くことで、少しずつ甦ってくる記憶もありますね〜・・・。
頭の奥の奥の引き出しで、ず〜っと仕舞われていた記憶が・・・。
それが今の自分にとって、善い種であり、そして心への善い栄養となる事を願い、
今回はこの辺で終わらせて頂きたいと思います。
最後までお読み下さいましてありがとうございました。
まきおの「こんな人生だからこそ」
荒町 真樹生
まきおの『こんな人生だからこそ』へのご意見やご感想はこちら(荒町宛て)までお送り下さい。


