まきおの『こんな人生だからこそ』

第29章 「いくらやる気があっても・・・(履歴書編)」

はじめに

 私が月寒高等学校へ入るための塾通いの学費を、私のいそうろう先(育ての母)が出してくれ、そのお蔭で私は塾へ通える事になりました。けれど結果だけを先に話してしまえば、私が塾へ通った日数はたったの1日・・・。

 それはどうしてか?当たり前の話しだけれど、塾へ通う皆はただひたすらにカリカリとペンを走らせて一生懸命勉強していた生徒ばかり。ほんの少しの休み時間でさえ、他の人と会話をすることもなく、ただひたすらに勉強していました・・・。そんな様子が、『俺、場違いか!?』と思ってしまったのです。

 自分が想像していた高校生活とは、『友達が沢山でき、そして勉強も楽しくできる所が高校だ!』と想像していたものが、この塾へ勉強しに行った初日で、その思い、すっかり消え失せてしまった訳ではないけれど、楽しい高校生活への憧れみたいなものが壊れてしまいそうになったものです。

 塾では皆、月寒高等学校に入学するために必死に勉強に取り組んでいました。が、それにひきかえ私の動機はと言うと、安易に『あの高校に通いたい!高校生活がしたい!』と、それくらいの動機でしかなかった訳で、皆のその一生懸命さに、『付いては行けない・・・。』と感じてしまいました。それに、あんなに一生懸命勉強しないと高校に入れないんだなぁ〜と想いつつ、どうにかしてあの高校に入れないものだろうか?と、よこしまな考えも起しましたよ。でもしませんでしたよ。と言うより、できませんでした。

 だから私は、『高校卒や大学卒の人達には勉強と学歴では負けるかもしれないけど、他では絶対に負けないぞ!』と、そんな自分の負けず嫌いなところが、知らず知らずのうちに自分を強くしていってくれていたのかもしれませんねぇ〜。でもいくら頑張っても、いくら努力しても、『履歴書』や『経歴』。そして『卒業証書』が、進学にも、就職にも、どれほど大きく影響するものなのかをこの時はまだ知りませんでした。

 塾を通うことを止めてからは仕事にも就かずに、ただ、日一日を何日かダラダラと過ごしていましたが、今回は、その、いそうろうをしながら毎日をゴロゴロと過ごしていた日々の【己心】。そして私の様な生い立ちの者が、いざ進学や就職をする際に書く『入学願書』や『履歴書』のその作成が、『教護院出』であるという事の事実あることにより、心に大きな弊害となっていた事の『真意』を話そうと思います。

 そして、それからどれほどの月日が経っていただろう・・・数十日?いや数ヶ月?
 毎日をゴロゴロしながら「いそうろう」している自分がなさけなくなってしまいはじめ、そして、次第に心苦しいものとなっていたそんなある日。同じ学院の卒業生3人が何処でどう繋がってそうなったのかは記憶には無いのですが、『皆で、とにかく一旗あげなくては!そして一旗挙げて金持ちにならなくちゃ!』と、なんの根拠も、なんの準備をもしてもいない中、私より学年が一つ上で寮が一緒だったFT君の、『仕事世話するから、こっちに来て皆で頑張ろうぜ!・・・』と言うその誘いに魅かれて、私達はその彼の誘いについて本気で相談し始めたのです。

 私もこのまま何もせず、育ての母親の所にいそうろうしている事が辛かったですし、こうしてダラダラとしている時間が、自分にとってはとても『もったいない時間』に思えてならなかったのです。

 そうして、「彼の住む釧路へ行って皆で一旗あげようぜ!」と、当時の私(鈴木真樹生)と、O・M君とT・T君の3人で話すこととなり、そうして3人は、F・T君住む釧路へと行った時の思い出などを、今回の第29章と30章の2回に分けて書くつもりでおります。

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履歴書に自ら嘘を書く事の辛さ

 塾通いもたった一日で止めてしまったその後は、家でゴロゴロ。ろくに仕事にも就かずに、「いそうろう」をしている事に何処となく自分の居場所が無くなってきているように感じはじめていました。

 育ての母親はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、店を閉めて家に帰って来る時には、いつも超デッカい『手巻き寿司』を私のために2本作って持って帰ってきてくれていたのです。

 私にはそれが当たり前の事の様に、何も気にせず毎日食べていました。が、こうして毎日ゴロゴロと家に居る自分が嫌になり、そうして気まずくなってきはじめてもいました。それに買って食べたらとても高価な物を、毎日2本も平気な顔でペロリと食べている事に、申し訳なく感じ始めてもいました。そして仕舞には、『今日は作って持ってきてくれなくてもいいからぁ。』と言い始めたのです。

 心の中では『いつもありがとう』。『毎日家でゴロゴロしていてごめんなさい』と思っていても、何故か口に出して言えなかった自分。そんなお礼の言葉ぐらい云えない自分が、そこにいたのです・・・。それが言えない原因は、『照れくささ』でした。おかしいでしょ!?

 数日後、育ての母は、『遠慮して食べないのかい!?いつもあんな大きな手巻き寿司を2本もペロリと食べていたくせに・・・。毎日仕事もしないで、家でゴロゴロしている事が辛くなってきたから、手巻き寿司も喉が通らなくなってきたかい?でも遠慮しないで、ちゃんと食べなきゃいけないよ!』と、殆ど多分こんな文句だったと思いますが、そんな事を言われ、グサリとくるそのキツイ言い方と、最後に心配して言ってくれた、「・・・ちゃんと食べなきゃいけないよ!」と言うその言葉に、目元がウルウルした事は、今でもハッキリと覚えています。それに何故か、その時の居間のカーテンが、とても真っ白かった事が目に焼きついています・・・。
育ての母が言ったように、その通りでした。図星です・・・。

 そうした日々を過ごしているある日、どこでどうなって、そして、何故そうなったのか?もう覚えてはいませんが、私を含めた学院の卒業生3人が、釧路に居る仲間(F・T君)を頼って釧路に行く事を相談し始めたのです。その目的は、『自分達の過去を知らない地で、皆で一旗あげる。』ことでした。

 私達のような者達にとっては、一旗あげるためには、どうしても自分達の過去(教護院出)であるということを知らない人ばかりの地に行かないことには、一旗あげることは絶対に不可能だと思っていたからです。それは「履歴書」に、正直に『大沼学院卒業』とは書けるわけがないと思っていた事。また、書く必要もありませんでしたが、「教護院出」という事の事実がそこにある以上、その事が、少なくとも私の心にはわだかまりとなって深く刻まれていたのです。

 そして再就職するために、『通ってもいない、実際に卒業していない○○学校卒』と履歴書に書く事がどれほど嫌だった事か・・・。

 同じ経験をしている者ならその気持ちが分かるとは思いますが、どんなに正直に、そして、大人として立派になりなさいと学院で教えられて卒業した自分達だけれど、社会に出てから、いくら正直に、そしていくら真っ当に生きたいと思っても、事実を消すことはできはしないのです。

 「運悪く」と言っても、殆どの卒業生は学院を卒業する際に、決めた就職先で今も変らずに勤めている同級生は誰一人としていないと思います。が、もしそんな同級生がいてくれたなら、とても素晴らしい事なのですが・・・。そう願いたいです・・・。

 だから殆どの卒業生は、一度や二度、それどころか、三度も四度も履歴書を書いている卒業生もいると思います。その度に、その時点で既に正直には書いてはおらず、いったい、なにが正直で、なにが嘘で、なにが善で、なにが悪なのか・・・。

 私には履歴書を書く時点で、実際に通いもせず、実際にその学校を卒業さえしていないのに、大沼学院卒ではなく、「○○学校卒」と履歴書に記入すること自体が、『正直には生きては行ってはいない!』というように考えてしまっていたその頃の自分がおりますが、そうして思う自分はおかしかったのでしょうか?・・・

 履歴書には一度も通った事のない学校を卒業したという事を記入していい事になっていた。もちろん、その学校の卒業証書と卒業アルバムを貰えるのです。だから自分さえ黙っていれば、そして自分が存在したというその同じクラスに、実際にいた同級生なる者と、運悪く出くわさず、例え出くわしたとしても、学校の話が出ない限りは、事実が世間に知れ渡る事など無いのだけれど・・・。

 ですが私は本当に運悪く、同じ学校を卒業した1つ下の下級生と出くわした事があります。事のキッカケはオヤジが経営する会社に、ある日、若いアンちゃんがアルバイトで入ってきたのです。年も私と同じくらいだったので、気もあい、現場に一緒に行ってそのアンちゃんに仕事を教えてやる事となり、休憩時間に、『歳はいくつだ?卒業はどの高校だ?』みたいな事を聞き始めたのは私で、「中学は八条中学で・・・」と返事が返ってきた。それを聞いてビクッ!

 学校の内部の話になったり、クラスメイトの話になったりで、あの時は動揺しました・・・。
とにかくこれ以上、実際に通ってもいない学校内部の詳しい話になっては、自分が実際に通っていない事がバレると思い、口をつぐんだのですが、本当にこんな事があっていいんですかね〜・・・。どれくらいの確率なんでしょうね〜・・・。

 そんな事に、実際にあった者でしかその怖さがわからないと思うけれど、行政が努力をし、子供達が更正し、そして社会に出て行ってからの「子供の将来のために」と配慮をされて、なされている事でしょうけれど、今もそうなのだろうか?・・・。

 だからそんな子供が、次第に無口になる事も考えられるのではないだろうか?・・・。ちなみに私は、社会に出てからは無口な方でした。だから社会に出てから、辛かったり、悲しかったり、寂しかった時にはいつも、学院で仲間と過ごしていたあの頃の事が、とても楽しかったと・・・。そして懐かしく、そして学院に、「もう一度入れるものなら入れて欲しい」と思った、そんな自分は矢張りおかしかったのだろうか?・・・。

 施設で育って、やがて社会へ旅立つ子供の将来の為には、義務教育を終えてしまう前に、一般の学校へ入れてやる事が、本当の『青少年育成指導』の、ほんの一部の正しい配慮だと私にはそう思うのですが・・・。

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実際に通ってもいない学校の卒業証書とアルバム

 学院を卒業した後、自分が卒業となった中学校から封書が届きました。開けてみると「卒業証書」と「卒業アルバム」の授与みたいな事が書いてあって、期限付きでその学校へ取りに来るようにとなっていたと記憶しています。

 卒業証書とアルバムを貰いに、オヤジに連れて行ってもらおうと思い話しました。そしたらオヤジは、『そったら物、自分で取りに行けー!』って言われ、結局、自分一人で行かなくてはならない事になり、その学校の在る場所を帳場さんに教えて貰い、そして取りに行こうとしましたが、結局、私は受け取りには行かずに時が過ぎ去ってしまいましたが、そんな同級生はきっと他にもいるんじゃないかなぁ〜と、そう思います。

 後に、卒業証書さえも受取らずに、行かずにいてしまったことが、後の高校入学願書を提出する際にエライ事になったことは言うまでもありません。せめて卒業証書だけでも貰ってきてさえいれば、中学校の正式名称を書く事ができたものを・・・。

 高校入学願書に、卒業した中学校の名称を間違えて書いてしまったことで、問われて全てを投げ捨て、ヤケをおこし、もうどうにでもなれー!と、投げやりになった事もありました。

 ちなみに私は八条中学校を卒業している事になっていますが、きっと卒業アルバムには、あるクラスの生徒の中に、隅の方にポッンと楕円形の枠の中に入った私の顔が載っている写真があるんだろうなぁ〜と想えるのも、高校の卒業アルバムにもそんな生徒がいたからなのですが、高校ではどうかはわかりませんが、義務教育である中学校の卒業アルバムでは皆そうなのかなぁ〜と想ってしまいました。

 あれって、知らない人が見ればそんな卒業生は皆、「故人?」って想ってしまうぐらいだろうなぁ〜と、想ってしまいました。

 あなたに理解できるかどうかはわかりませんが、複雑な家庭環境や、私のような生い立ちを持った者達にとって、履歴書一つ、卒業証書一つをとってみても、自分達の過去を知った人が周りに居る事で、どんなに正しい事をしようとしても、また、どんなに善い事をいくら積み重ねて行こうと思っても、それを妨げようとする大人達がいた事はまぎれもない事実です。

 頑張れば頑張るほど、できるようになればなるほど、妬みや僻みからなのでしょう。あら捜しをし、学歴や教護院出ということだけで潰しにかけられた事は幾度もあります。そしてチャンスを奪われた事もまた、幾度もあります。

 たった、大沼学院という、『教護院出』だと言うだけで・・・。
 悪い事をして入る子供ばかりが居る所じゃないのに・・・。

 それを知っている大人もまた、嘘はつかずとも、「教護院出」だという事の事実だけを世間に話し、わざと世間様が様々な事を想像するみたいに仕組み、云いふらして歩いてくれた、大変親切な大人もいました。

 その時の、私のような者の悔しさや、悲しさを、あなたにはどれだけ理解する事ができるでしょうか?

 その立場の者でないと経験できない事はあれど、これから真っ当に、そして真剣に生きてゆこうと、そして善い大人になろうとする若者の、人生の大きな障害となっている事を、ほんの少しでも、あなたには理解していただける事ができるだろうか?

たかが履歴書。されど履歴書。
そして、
たかが卒業証書。されど卒業証書

 児童相談所や教護院や、青少年鑑別所などの、そんな施設に入るすべての子が、
 悪い子ばかりなんかじゃない。そのすべての責任は、私達「大人」にあるのに・・・。

自分のせいなんかじゃない子供は、沢山沢山いるのに! 可哀想に・・・。
子供のせいなんかじゃないのに・・・。 子供が悪いわけじゃないのに・・・。

 私にとって、「履歴書」や「卒業証書」もさることながら、「教護院出」という事実があるばかりに、それがバレると思えば、どんなに有名になりたくても、どんなに善い事をしても、世に自分の名前が知られてしまう事の怖さがどれほどのものか想像できるでしょうか?

どれほどの「勇気」を必要とする事かを・・・。

 どんなに夢や希望をもって必死に頑張っても、教護院出という事実が、どれほど、妬みや僻みを持つ者にとって「つるし上げし易いネタ」であるかを・・・。

 そして豊かに、そして幸せになろうと、どんなに努力をしても、努力をすればするほど、そしてその兆しが薄っすらと見え始めた頃、『教護院出』という事実が「他人に壊される」というその恐怖感がどれほどのものなのか?その怖さをあなたには理解できるだろうか?・・・

 その「勇気」と、その「恐怖」に、自分を奮い立たせ、そして立ち向かって打ち勝ってゆける子供は、ほんの、ほんの一握りです。

 だからそんな子供の殆どは、何を置いても、先ずは自分の身と心を必死に守ろうとするのです。必死だからこそ、一人ぼっちの暗い世界に入り込んでしまうことにも繋がっている事も・・・。

 それを好んでしているわけではない事を、あなたに理解できるだろうか・・・。

苦しいもんだよ・・・。そして寂しいもんだよ。

 そして、そんな秘密を持った自分を、知っていて受け入れてくれる人ならば、どんな人にでも心を許し、着いてゆきたくなってしまうその心の寂しさを、あなたにはわかってもらえるだろうか?・・・。

心の傷とて、時が経てば消えて無くしてしまえる物もある。
でも、事実は、どんなに時が経とうとも決して消えはしないしょ・・・。

 それが、「履歴書」一つをとってみても、私達のような生い立ちの者にとっては、社会に出てからのその後の人生に於いて、どれほど影響している事かを、あなたにも、ほんの少しだけでも理解してもらえる事ができたなら、私がこうして書いている意味もあります。

 それほど世間様は、見た目や、名誉・地位という、外面で人を判断し、そして、それに左右されている世間が在り、そして自分もそこに居ます。

 人として、それほど、中身(人格)よりも外面が大事なものなのか?・・・。
 正直、現実的、そして客観的に私から見て、今の世の中は、中身より外面。
 残念な事に、確かです。

 このように、一般の方々には理解しがたい、考えもつかない事ごとが、また、どうってことのない事の様に皆様には思える事であっても、それらが私達のような生い立ちの中で育った者達にとって、されど「履歴書」。されど「卒業証書」なのです。

 そして「教護院出」というその事が、社会人となり、そして大人として素敵な人間になろうと、いくら頑張ろうとしても、また、頑張っていても、そこには必ず障害があります。

 それをあざ笑うかの様な大人達がいて、そして足を引っ張ろうとする者達もいます。それが現実です。

 こうして自ら「教護院出」だと語るのは、私がこのような体験をし、そして自分自身との格闘も含め、今も尚、その心の苦しみを誰にも話せずに、また、常に、いつかバレるかもしれないと言う恐怖に怯えながらも、一生懸命に生きようとしている者達が必ず存在する事をあなたにも知っていてもらいたいです・・・。

 そしてどの様な生い立ちであろうとも、また、どんな過去を持っていようとも、過去は過去。その過去を常に見つめ治しながら、その過去を教訓とし、一生懸命に、一生懸命に善い大人、善い人間になろう! そして沢山、善い事をしょう!と、一生懸命に生きようとしている者達が必ずやあなたの周りにもいるのだという事を、あなたにもほんの少しだけ知っていて欲しいです・・・。

 そして今、この先の、自分の目には見えない、夢ある人生を描きながら、前向きに生きようとしている者達もあなたの周りにも、きっといるのだという事を、あなたにもほんの少しだけ知っていてもらいたいです・・・。

 次回は、教護院出の3人が、そんな夢ある人生を描きながら、釧路の仲間を頼って行った思い出を、この章の続きとして掲載する予定でいます。

 最後までお読み下さいましてありがとうございました。

「勇気」そして「感謝」

真樹生(まきお)

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