第28章 「いそうろう」
はじめに
『触れ合い』。人との心の触れ合いや、人との信頼関係を築く事はとても大変な事だと思います。
しかしながらけして難しいことではないと、そう思います。
何よりも難しいことは、それは自分との闘いがなによりも一番大変で、そして一番難しいことなのではないかと思います。
人を信じることや信頼関係を築くことの一つをとっても、相手との意見の相違や性格の違いなど様々な障害があります。ですがどれもこれも、先ずは自らが一歩踏み出さなければならないという気持ちがなにより大切な事ではないかと私は思います。とても勇気のいることですが・・・。
相手を信じることの難しさ。そして信頼関係を築く事の難しさは、私も身をもって数多く体験して感じています。その結果、自分が相手を選んで自分の枠を狭めてしまうのではなく、自ら、誰とでも、先ずは自分から心打ち解けようと一歩足を踏み出す事がとても重要なことなのだと痛感しています。その事は私にとって『超苦手』な事柄で、だからこそ、それを克服したいと思い自分と闘ってますが、なになに、自分の性格や生活習慣をおいそれと簡単に変えることは出来ませんし、時間の掛かることだとつくづくそう感じています。
しかしながら、そういった努力の積み重ねが、いつの間にか自分の視野を広げ、そして狭かった心さえも広くなり、いつしか自分が想像さえもしていなかった素敵な世界(人生)へと導いてくれるのではないでしょうか?私はそう思いたいです。
物とお金で満たされる事はこの世で生きてゆく限りは絶対必要不可欠なものではあります。しかしながら、今の世の中、日々起こる犯罪の多くの殆どはお金がらみです。それに自ら自分の命を絶ってしまう事件も昔よりはるかに多くなったような気がします・・・。
『心、豊かに』と言うその言葉を、私は学院時代に学びましたが、しかしながらその真の意味を少しだけ解るようになったのはつい最近の事です。
この言葉の成す意味をここであらためて私達大人は考えてみる必要があるのではないのだろうか?今だからこそ・・・そう感じます。
『心の豊か』のその価値は、この世のどんな高価な物よりも、より高価なものだと強く思える自分になりたいとそう思います。
その為には、先ずは自らが一歩足を踏み出さなくては・・・そう思います。だからこそ、自分と闘う『勇気』がいるのだと感じます。
今回掲載するお話は、無免許で事故を起こした以前の出来事だったと、あらためて振り返ってみて思いだしています。
いつもの事ながら今回も順番がバラバラですが、記憶に残る自分の経験をこうして書き残す事は私にとってはとてもとても大きな意義がございます。
今回も懲りずに、また書かせていただきますが、今回のお話は、私が育ての母親の所に【いそうろう】していた時のお話です。が、先ずは育ての母親(養母)の所に【いそうろう】するようになったその経緯をお話しなくてはなりません。とは言っても、この頃もまだ、誰が自分の本当の親なのかは知りませんでした・・・。
この時の私はまだ16歳だったと思います。学院を卒業してから僅か数ヶ月の間に様々な事が有りすぎていったいどれが先でどれが後なのか?が、こうして一つ一つの記憶を書いてゆくことで、私自身、その順番が明確にはなってきていますが・・・。
当然のことながら、正直、こうして書いてゆく事で【思い出したくなかった記憶】がいくつも甦ってきています・・・。
『いそうろう』のキッカケ
オヤジと母(実母)がとてもギクシャクしていた時の事です。そんな親の姿を見ながら、私は何処となく『今の自分はお荷物だろうな・・・』と思い始めていたそんなある日のことです。オヤジと母がとんでもない喧嘩をし始めたのです。
いつもなら、『また始まったわぁ〜』ぐらいで、自分は『関係ないも〜ん』と見て見ぬ振りをしていればそれで済んでいたのですが、この時の喧嘩ばかりは『母さん!本当に殺されるんじゃないだろうか?』と思いましたよ。
母は自分を防御するために包丁を両手でしっかり握り締め、台所を背に必死に自分の身を守ろうと包丁をオヤジに向けて身構えているのです。その時の母の姿は、『オヤジが向かって行ったら本当に刺してしまいそうだ!』と、本当にそう思ったほど危機感を感じた喧嘩でした。そうなるまでのやり取りは書くことは出来ませんが、さすがに母が包丁を持ちだしてオヤジに向かって身構えた時には、『やめろー!やめろー!』と吠えました。
いつもの夫婦喧嘩なら口出しなど絶対にしません。そんな事をしたら自分までとばっちりをくいますから・・・。『触らぬ神にたたり無し』というやつですが、この時ばかりは叫んでしまいました。そしたらオヤジが、『うるせーこのクソガキ!毎日毎日ただ飯くらっていやがって!お前もブチ殺したろかぁー!!』とオヤジに怒鳴られた瞬間、まるで乳飲み子が母親にお乳をもらった時の、あのピタッと泣き止むかの様に、私もピタッと黙ってしまったのです。
ごく普通の家庭で育った方にはこの時の私の恐怖感は想像もつかない事でしょうが、でもそんなことは想像もつかなくていいのです。そして想像つかなくて当たり前ですし、想像もつかない方が幸せでしょう・・・。
幼い頃から、私は自分の周りの空気の変化を異常なくらい敏感に感じるようになっていたように思います。特に自分の事に関しては・・・。そして何でも、『それは自分のせい!?』と勘違いするようになっていたようにも思います。とても過敏に・・・。
結局オヤジに、『うるせーこのクソガキ!毎日毎日ただ飯くらっているクソガキがぁー!お前もブチ殺したろかぁー!!』と怒鳴られた事が、私が養母の所に【いそうろう】するキッカケとなったのですが、この時の喧嘩の結末はお話しする事はできません。が、少なくとも、母の命があった事だけは確かです。
母の体も回復して動けるようになってからですが、それ以来、母(実母)は夜仕事を終えてから家に帰って来る事も無くなり、その後、朝、オヤジが仕事で現場に出て行った頃を見計らった時間になっては会社に顔を出して帳場さんと経理をしているという、そんな日々が続いていましたよ・・・。
唯一の、いそうろう先
そんな月日がどれだけ経ってからだったろう〜・・・いつしか母は会社に顔を出す事がまったく無くなり、私は、『やっぱり別れちゃったんだぁ・・・。もう自分はここには居られないなぁ〜・・・。』と、危機感を感じはじめていました。母が居なくなった今、私はこのままオヤジの所に居られるはずもありません。それで、いそうろう先は、私が生まれてから小学1年の入学の時まで育てくれた母(養母)の所でした。そこが唯一、たった一箇所の私の訪ねて行ける所だったのです。
『真樹生、お前どうする?』
『真樹生、お前、うちに来るか?』など、誰も私の事など心配して声を掛けてくれる大人なんていませんでした。それは当然の事なのかもしれませんが・・・。特にこんな物騒なご時世となった今は、気持ちはあっても、そんな人はいる訳はないですよね・・・。
事ある度に、『やっぱり自分は、どこに行ってもお荷物なんだな・・・』と思っていましたよ。小さい頃からず〜っとそうでしたが・・・。そして、『生まれてこなきゃ良かったのに』と・・・。
この気持ちが、ある日を境に親に対して、『勝手に生んでおきながら・・・』。
そして見て見ぬ振りをし、誰も声すら掛けてくれず、助けてもくれない大人達にまで、私の心は全ての者たちに怒りを持つように変わっていったのです。
理由はどうであれ、このように湾曲した気持ちが自分をさらに非行の道へと導くキッカケとなり、そしてそこに待ち構えていたのが『甘い誘惑』です。
見ず知らずのおじちゃんが、『おッ、兄ちゃん!なかなか威勢がいいな〜。兄ちゃん、いくつだ?』と親身そうに尋ねてくる、割腹のある怖そうなおじちゃんでしたが、そんなおじちゃんにでさえ心動くのです。
今のご時世ではそんな風にして声を掛けて来る『堅気の人でないおじちゃん』もいないと思うけれど、子供によっては、そんなおじちゃんにさえ心魅かれるほど寂しく、そして飢えているんです。『愛情』に・・・。
そんな子の心の傷は、心の傷の深さは、体験者でないと分からないのではないでしょうかね〜・・・。
現代の子は、大人も含めてですが勉強ができて頭は良いけれど、一番大切な事を教わって育ってきていない気がしてなりません。だからそんな子が、とても不憫で、可哀想に思えてなりません・・・。
今の子の多くが、前から見るとなかなかお洒落で、そして素敵でカッコいい子が多いです。でも角度を変えてヒョイと横から見てみると、その体の薄っぺらい体つきと同様に、心も、精神も薄っぺらい子が多い気がしてなりません。
全ては親や今の社会の絶対的責任だと私は思っています。可哀想なのは子供達だと・・・。
私も含めて多くの大人達は、外面良くて中パッパ!の『中パッパ星人』が多いよ。
薄っぺらなスルメイカみたいな人が・・・。少し噛んだら直ぐに味が消えて無くなってしまうような、そんな薄っぺらスルメイカみたいな大人達が・・・。
昔と違い、今お店で売っているスルメイカってそんな感じだもんね〜。
昔のスルメイカは噛めば噛むほど味が出で、とても美味しかった記憶があります。
私が幼い頃、根室で育っていた頃の3時のオヤツはいつもスルメイカで、それを毎日口に咥えて外で遊んでいたと育ての母親から聞いていますが、昔のスルメはもっと身も厚かったし、噛めば噛むほど味があった気がします。
テレビで子供についての討論している番組を見ていても、さも、もっともらしい事を言っている出演者もいれば、それを聞いていて納得している多くの人達もいます。私はそんな様子を見ていて思うことは、『中身がパッパラパーでも、あんな風にもっともらしい事を言ってさえいれば世の中の通用するのか〜・・・。』と、そう思ってしまいます。
『お前たちは本当に、自分達大人にその原因があるのでは?と考える事ができないのか!?』と・・・。
みんな理屈では分かってはいるみたいですが、私から言わせてもらえば、それは『分別の無い分かった』で、理解していて本当に『解っている』ではない。本当に『薄っぺらな大人達が多いな〜』と、私自身も含めそう思う・・・。だから自分は、『少しでも中身を』と、そう思う・・・。
単に、『多くの子供と接しているから、・・・。』と、子供と接している数が多いから子供の事が誰よりも解かり、理解できると言う者もいるが、数多く接しているからと言ってけして子供を理解できる、そんな簡単なものではない。
接している数の多さではなく、いかに子供の心と接し合い、子供と本気で向き合っているかがポイントだろう・・・。
だから時には叱る事もあって当たり前なのだが、それが教師なら、今ではゲンコツ一つしただけでも死活問題。そんな環境で、そんな社会で、他人の子を真剣に自分の子供と同じように、親身になって満足な教育などできる訳はないだろうに・・・。
『子供の教育には、・・・』と語る前に、先ずは我われ大人が再教育し直さなければいけないのがなにより先決ではないだろうか・・・。
裏を反せば、今の子供達の方がよっぽど大人達よりしっかりしていると思う。子は親の背中を『視て』育つだよ。善いものも悪いものも・・・親の背中を視て育つんだよ。
いそうろう先。そして・・・。
結局、唯一私が頼ってゆける所である、育ての母(養母)の所に【いそうろう】し始めたのです。とは言っても当時の私はまだ16歳。いくら育ての母親とは言え、私には矢張りその人もまた他人様。『気まずい』のにかわりはない。私の場合は、それがたとえ育ての親であってもやはり他人様だったのです・・・。もちろん私にも問題はあったのでしょうが、私の周りでは『別れた』『くっついた』などが頻繁ありましたから周りの大人達の顔ぶれが変わっても『いつもの事』と慣れっ子になっていましたよ。たとえそれが親であっても・・・。
その代わり、生まれた時から、そして学院を卒業してからと、何処に行っても何処に預けられても、心の落ち着く場所、心のよりどころはありませんでした。遠慮せずに暮らせる所など・・・。
だから安らぐのは仲間の所であり、安心するような場所、それは今、昔を振り返って考えれば唯一安心して長く暮らせた所は『学院』だったような・・・そう思います。
さて、『いそうろう』させてくれた育ての母(養母)はというと、当時、寿司屋と居酒屋の2つのお店を経営していました。居酒屋はとても繁盛していたらしく、同業者から僻みや嫉みが凄いとグチを聞かされた事もありました。
この時養母は2度目の再婚でした。そして夫婦で暮らしている家は店から車で5・6分の所にアパートを借りて暮らして居たその場所に、私は『いそうろう』させて貰い、そして新たな生活が始まったのです。
そしてまもなく、私は学院を卒業して直ぐに自動車整備会社に就職していた頃の会社の直ぐそばに在った『月寒高等学校』という高校を思い出し、その学校に通う学生を見ては『自分もあんな風に高校に行きたいなぁ〜』と思っていた気持ちがここで甦ってきたのです。
しかしその高校が国立なのか私立なのか、レベルがどうだとかこうだとか。そんな知識は私にも養母もまったくありませんでしたが、私は、とにかくその高校に一日も早く通いたいと思い始めたのです。時は5月か6月頃の外はまだ肌寒い季節でした。
そしてある時、その気持ちを養母に相談したところ、養母もその高校のレベルを調べたらしく、『あの高校に入るには今から塾に通って一生懸命勉強してないと無理だわ』と言われました。が、とにかく私は今すぐにでも、あの高校に通いたかったのですが、その理由は、『とにかく小さい頃から身体が弱く、流行り病は全部した子だ』と聞いていますが、小さい頃から『脱腸』で、微かに私にも記憶がありますが、下腹の処にレンガ色のゴムでできた器具を着けていた時期があったのを、私も微かに記憶に残っています。幼い頃から入退院を繰り返していた事と、『あっちの親からこっちの親へ』と渡り歩いていた為にまともに小学にさえも通っていなかったようです。
学院に入った小学3年生の時には既に1学年遅れていたのですが、それから更に1年遅れで高校に入れば2年遅れてしまうという事がとても嫌だったのです。
そんな自分の気持ちを話して何とか納得してもらい、翌年受験させてもらう約束で塾に通う事になりました。その塾というのも養母がどこで調べてきたのか、その塾は『月寒高等学校付属』の塾で、その事は塾を見学に行くまで私は知らされませんでしたが・・・。
数日後、翌日からその塾に通うために見学に行く事となり、旦那さんが運転するライトバンの後部座席に私は乗って、その塾に学費を納めるのに私も一緒に見学に連れて行ってもらう事になったのです。
車に乗っている間、『これで来年からあの高校に通える!』と、とても嬉しくてワクワクしっ放しでしたよ。
その高校がどんな高校なのか?そして自分は何を専攻するのか?普通科なのか商業科なのか?そんな事など何一つ考えず、ただ々自宅から自動車整備会社に通う通勤コースに在ったあの高校・・・。
自分で通うのにもけして遠くない、たとえ歩いてでも通える所に在るあの高校に、ただ一心に通いたかったのです。
その思いが叶うと思うと、『これで自分も人並みな人間になれるんだなぁ〜。育ての母親の所に来て良かったぁ〜』と、少なからず、『自分にもまだチャンスはある!まだ見捨てられてはいない!』と、単純かもしれませんが、私は幸せみたいな物を感じていました。
これがオヤジの所にあのまま居たら、絶対にこうして協力してはくれなかったですしね。それどころか、『高校に行ったからってロクな者になるわけじゃないんだから、斫り屋の仕事手伝え!稼げるんだから!』と言われるのがオチでしたからね。 そう思うと、こうして育ての母親の所に来た事がどれほど自分にとって良かった事か・・・。
いつも泣いてばかり
育ての母親の所にこうしていそうろうする事になった事で、塾に通わせてもくれ、そして高校にも行かせてくれようとしてくれるその育ての母は、誰よりもこれから先は、自分の本当の親だと思って親孝行しなければと思っていました。そしてやっと自分にも、『本当の親』ができたぁー!と・・・。こうして自分を高校に行かせてくれようとしてくれるその育ての母親に、どんな子よりも、誰よりも、絶対に負けないほどの親孝行をして『恩返し』をして返そうと思った時の事を思いだします。自分にもそんな素直な心を持つ、そんな純粋な子供の頃があったんですねぇ〜・・・。
初めて塾を見学に行き、そうして勉強している学生たちを見て、とにかくカリカリと話もしないで何やらひたすらにノートに書き込んでいるなぁ〜・・・ついてゆけるかな〜?と思いながらも、あの高校に入る為には明日からここでみんなと一緒に頑張って勉強しなきゃ!と心新たにしてアパートに戻って来てから、あらためて二人の前に正座をして『・・・ありがとうございます。』って言って、なぜか溢れ出てくる涙をこらえながら奥の部屋に入ってゆき、正座しながら泣き過ごした時の事を思い出します。
あの時どんなに嬉しかった事か・・・。
そして自分も、どんなに人並みな生活がこれからできるんだと思ったことか・・・。
今までは、 いつも心は一人ぼっちだった自分・・・。
誰にも自分の過去を話せない時期があった自分・・・。
生まれて自分が気づいた時には、いつも心は一人ぼっち・・・。
本当の親は今もまだ知らないけれど、心の中で、『この人が本当の親だったらなぁ〜』と、勝手に親を創り、心の底から『本当の親』が欲しかった自分。そう、
父親までもは望まない。でも、せめて母さんだけは・・・。
でも自分ばかりが不幸なんじゃない・・・。
学院には両親さえもいない仲間も居た。だから両方の親は望めない。だから声に出しては言えないけれど、自分は母さん欲しい・・・。
口に出して大きな声で叫びたかった子供の頃の私の気持ちです。
辛い時、『真樹生、どうしたの?』と、優しく聞いてきてくれる母さんが傍に居て欲しかった・・・。
不器用でも、出来が悪くても、歯を食いしばって一生懸命頑張っている自分を、『エライねぇ〜、エライねぇ〜・・・真樹生は本当によく頑張るねぇ〜』と、歯を食いしばって頑張っている自分を温かな柔らかい母の手で、頭を優しく撫でてくれる母さんが欲しかった・・・。
怪我をして帰ってきたとき、『フゥーフゥー』してくれる母さんが傍に居て欲しかった・・・。
こんな私の思いは、普通の家庭の子供なら誰しも当たり前の様に受けている愛情でしょう。でも私には、『そんな事ぐらい』が何よりも欲しかったのです。
物を買って貰う喜びでも、お小遣いを貰える事でもなく、親の愛情、家庭の愛情が何よりも欲しかったのです。
普通の子供なら、ごくごく当たり前に受けている親からの愛情であっても、ある子供にとっては、そんな母親のささやかな愛情にでさえも、より以上の大きな喜びを感じ、母親の強い愛情を感じるのですて。まるで幸せのシャワーを全身で浴びているかのように・・・。
そう・・・、『感じる』のです・・・。
我が愛する子にとって、その子の『心の成長』の為には、物を沢山与える事よりも、どんな高価な物を与える事よりも、小さな子供の小さな心に一番大切な物は、それは物なんかではなく、親(心)から子(心)への【心の栄養】が何よりも一番大切なのではないかと、自分の生い立ちを振り返ってみてそう感じます。
乳飲み子が、お母さんの体内から溢れ出てくる母乳を飲んで体が大きくなってゆくように、乳離れした幼い子供のその成長にも、心から心への溢れ出る親からの【心の栄養】がとても必要なのではないでしょうか?そしてその時期が長ければ長いほど、子供にとっては善い事なのではないでしょうか・・・。
最後に
こうして育ての母のところへ『いそうろう』をする事となった事が、私にとってどれほど人並みの人生をこれから歩む事ができると思ったことか・・・。 そして2年遅れでも、高校に行ける事がどれほどの喜びだった事か・・・。
ごく普通の家庭で生まれ、ごく普通の生活が出来る事が皆さんにとっては、ごく当たり前の環境であり、そしてごく当たり前の幸せなのかもしれません。しかしこの時代の私にとって、皆さんのごく普通のごく当たり前な生活が、何よりも羨ましく、そして何よりもそれを一番望んでいました。
環境が違っただけでも、その価値観には大きな個人差があるものですね〜・・・。
いつも過去の自分から逃れたいと思っていました。そして過去の自分を消す事ができるなら、何を犠牲にしてでもいいから消して欲しい・・・そう思っていました。
また、それが出来ないのなら、せめて自分の記憶から過去の自分を全て消して欲しいと強く願ったその数は、星の数ほどです。
今でこそそんな過去(生い立ち)が、全ては自分の心の栄養になっている事に偽りはありません。全て『感謝』です。
最後までお読みくださってありがとうございました。
これからもまた自分と闘い続け、少しでも自分らしくなれたならと努力してゆきます。
真樹生
まきおの『こんな人生だからこそ』へのご意見やご感想はこちら(荒町宛て)までお送り下さい。


