第23章 「卒業生との再会から」
はじめに
私の記憶の殆どは、「時期がいつだったのか?」それを憶えていない事だらけです。例えば、「こんな事があったのは何年何月何日の事だっただろうか?」と言うように、『何年何月何日の事だった』という、はっきりとした記憶がまったくと言っていいほど無いのです。
記憶の景色や周りの状況。そして、見たものや身体で感じたものからの判断です。
どうしてはっきりと「何年何月何日」と記憶しておく事ができないのか、それが自分でも不思議に思います。
これから書く私の記憶の殆どは、「事」と「時期」とが噛み合っていない物語が沢山でてくると思います。が、自分の記憶に残っているものをできるだけ正確に、ただひたすらに書いていくだけです。
事実は事実。読者の皆様方がそれをどの様に捉えようとも、私が望む、『私と同じ様な環境で育ち、また、同じ様な生い立ちを持つ方々との共感』。そして、そんな方々に少しでも「勇気」や「元気」を分けてあげる事ができたなら。そして活かされたなら、どんなに素敵でしょう。
そんな思いで書いていても、矢張り自分と格闘する時が幾度もあります。
「こうして書いていて、本当に役に立っているのだろうか?」と・・・。
そんな不安を抱きながら書き続ける自分と、もう一人の自分。それは、「せっかくこうして書き続けているのだから、自分と真っ向から向かい合い、正直に、そしてどんなに時間を費やしても、自分の為に、憶えている記憶を書き綴っておかなければ・・・。」と、考えるもう一人の自分。
そんな自分達に背中を押されながら、そして励まされながら今回も書き綴って行きます。
「信頼」という心に豊かさを育んでくれる痛み
自動車整備工場を無断で辞めてしまったある日。私より大沼学院を1年先に卒業して、既に就職していた「○○○はし」君との事です。
ここで不確かなのは、彼とどの様にして連絡が取れたのか!?その記憶もまた、まったく無い事です。何処でどの様につながって彼と会えたのかがまったく憶えておらず、自分でも不思議で仕方ないのです。何度も言いますが、本当に自分の脳が、非常によく働く処と、殆ど働いていない処があり、そのバランスが異常に悪いのではないだろうか?と思えて仕方ありません。
この「○○○はし君」は、本当に善人そうな優しい顔をしていながら、する事は派手(顔からは想像が出来ない様な事を平気でするワル)な奴でした。
正直、当時の私の外見は「悪」その者に見えましたから、実際に悪い事をしても「やっぱり!」と言うように、誰にもそんな風に思われるような顔をしていた事は言うまでもありません。が、「○○○はし」君は違いました。
「こいつ、なんでこんな事も平気で出来るのだろう?」と、そんな彼を「なかなか度胸のある奴だな」と、感心して観ていた事は幾度もあります。
私達生徒が学院を退院して行く時には、必ず、先生から「社会に出て行ったら、卒業生とは付き合ってはいけない!たとえ卒業生から連絡が来たとしても、決して会ったりしてはいけない!」と念を押されてみんな社会に出て行った訳です。が、私もその事は頭にはありましたから、たぶん自分からは連絡はしていない筈だと思うのですが・・・。
ちなみに私は、その様なアドバイスを直接先生から云われた憶えはありません。が、「きっとそんな事をこいつに云っても、聞かないだろうな・・・」と、諦められていたのかもしれませんね。なにせ、学院を私と共に出て行った生徒の中で、「ワルが最後に行き着く場所」に最初に行く者のリストに「鈴木真樹生」と言う名前が候補としてあがっていたらしいよ。(予想を覆してすみませんね〜)
「○○○はし」君は私と違って、とても要領が良かった様に私には見えていました。だから頭は良かったと思うよ。
もったいないよ!こんな子は学院には沢山居たよ。
親が居ないだけで長く入っていた子だって居たよ。
教護院とは言え、悪い事をした子達ばかりが入って居た訳じゃないよ。なのに「教護院出」と言うだけで、「非行少年」=「悪」と言うレッテルを貼られて・・・。
とにかく学院を卒業してから、先輩達や同級生に会った「初めての相手」が彼だったのか?また、他に考えられる私より一学年上の「○○○まさ○○」君。通称「まさ」君という先輩に再会したのが先なのか、一体誰と再会したのが先なのか?見当もつかない。
この「まさ」とは、再会してからは随分と長い事付き合う事となった奴ですが、付き合ったと言うより「付き合わされる破目になった」と言った方が正解かな。それほど、何かと面倒の掛けてくれた奴でしたよ。
「まさ」に振り回されたのは私だけではなく、今後この「こんな人生だからこそ」に登場する一人の先生。その恩師も大変な迷惑を被った被害者の一人。
しかしながら先生は、なんだかんだと「もうかまわん!もう二度と敷居をまたぐなぁ!」と叱るけど、幾ら叱られても何を言われても、この先生の所にみんな行くんだよなぁ〜・・・。「まさ」もその一人だったけど、みんなそう。
私?私はその様にこの先生に叱られた事は無いと記憶しているけど!?
この先生は特に自分の寮の卒業生には何かと本当に面倒見の良い先生で、羨ましいくらいに善い先生だよ。当たり前の事だけど。
残念な事に、私はこの先生の寮の生徒ではなかったけれど、これもまた何で繋がっているのか不思議。今でもご縁を持たせて頂いている先生です。
この先生と繋がっていられる事にはとても感謝しているさぁ〜。そう思っている卒業生は私だけではないよ。当時の大沼出の生徒で、この先生に本当に感謝している生徒は何人も居るよ。
社会に出てからの苦難や心配。また、どうして良いのかわからず、行く所も、頼る所も無く、苦しんでさ迷い、「心ぶらぶら」しているそんな時に、こんな先生がいてくれたなら道を踏み外さずに立ち直れたかもしれない生徒は何人もいるだろうなぁ〜きっと・・・。
一旦社会に出てしまうと、「本気」で叱ってくれる大人が周りに居ないんだよね〜ぇ。本気で怒鳴ってくれる、本気で殴ってくれる大人がさぁ〜・・・。
勘違いをして欲しくないので注釈をつけるけど、「本気」って言うのはさぁ、力まかせに怒りを露わにしてただ思いっ切り殴るという事ではなくて、殴る者が自分の「世間体や面子」を保持する為にでもなく、また、感情のままにでもなく、その子の「将来の為の本気で」という意味ね。
知識だけをいっぱい詰め込んだ薄っぺらな人には、私のこんな考えは「どんな理由があるにせよ、子供の教育にとっては、叱る、殴るという行為は絶対に善くない行為だぁ!」として私は軽蔑されちゃうだろうなぁ〜・・・。
でもそんな人って、深い意味も解らず、また、理解しようという努力もせずに勝手な自己判断してしまうのかなぁ〜?
例えそれが理解はできたとしても、納得はして貰えないだろうなぁ〜きっと・・・。何かしらそれに類意した経験をしていないと矢張り解からないかなぁ〜?
確かに「ゴツン!」とゲンコツされたら痛いよ。でもね、ゴツン!とされながらも、その痛さから先生の「思いやり」や「優しさ」を感じた事ってないかな?叩かれて痛いんだけど!
先生でなくても誰からでも良いよ。無いかなぁ〜?そんな事・・・。
私はそんな経験があるんだぁ。ゲンコツされていながらも、先生の顔見て、「エヘへー」と言いながら軽く舌だしたら、先生に「なに舌だしてんだぁー!」と注意されたけど、先生の思いやりを感じた事があるよ。今の子供達にはそんな体験があまりに少な過ぎるのかなぁ?
ちなみに私のその体験は「児童相談所」に居た時の事。
確かに怒鳴らずに、そして殴らずに居られたならそれほど親にとっても子供にとっても善い事はないと思うよ。
でもね!でも違うんだなぁ〜・・・。怒鳴ったり殴ったりする者だって、心は苦しいし、叩く掌だって痛いよ。何よりも心が一番苦しいし、何処よりも一番、心が痛いよ。
そりゃ〜殴らずに思いっきり優しくギュッと強く抱きしめたいさぁ〜。でもね、でも、それを「今はしてはいけない!」と自分に言い聞かせて叱るその胸の苦しさは、経験している者にしかわからないと思うなぁ〜。 そんな事も後で気づく事だと思うけど、気づいた時から少しずつ、きっと心が豊かになると思うよ。
そうして私が気づけたのも、弟子の美香先生を一から、本当に何から何まで一から育てた時に気づいた事。お互い大人だからねぇ〜・・・大変だったよ。自分との格闘がさぁ・・・。
本当に怒鳴りながら、叩きながら一緒に泣いたよ・・・。良い経験させて貰った。
「まさ」との事を早く書きたいのだけれど、そこに辿り着く為には沢山の「記憶の山越え」をしなくては辿り着けないほどの沢山の記憶。
とにかく、この「まさ」と先生との思い出は、心に深く刻まれています。
今となっては、自分にとって、本当にすべて善い経験をさせて貰ったよ。
「まさ」とは音信不通。(お〜い、これ見ていたら連絡よこせな〜!)
どんな姿で居ようとも、お前が元気な姿を見せてくれるのがなによりなんだぞぉ〜。
人生はいろいろ。どんなに頑張ってみても、どんなにいきがってみても、自分の思い通りにはならない「時」だって、「事」だって沢山あるさぁ〜。その事に早く「気付く」時が来るといいなぁ〜・・・。
「まさ」との事については書く時が直ぐに来ると思います。話を戻して、彼、「○○○はし」君との事を続けましょう。
教護院出がそんなに悪い者達ばかりなのか!
「○○○はし」君とのいくつか残っている記憶の中で、とても強く記憶に残っている事が2つあります。その一つを書かせて頂きます。 彼は学院を卒業してから、とある電気会社に住み込みで働いていました。
部屋は倉庫の2階。と言っても1階には小さな事務所らしきものもあったと思います。
プレハブだったと思うけど住み心地はけして悪くはなく小奇麗な部屋だった。
これも何処でどうなってそうなったのかがまったく記憶が無いのだけれど、ある日の晩、彼の部屋で泊まる事になったわけ。この時には「まさ」も居た。だから3人で6畳くらいの「○○○はし」君の部屋に泊まる事となった訳だけど、その日の夜は3人で何を話したかはまったく記憶にはありません。
翌朝、誰かが階段をドタドタと駆け上がってくるその音で目が覚めたのです。
その音がそのまま部屋の前まで続き、突然部屋の扉が開いたと思うと部屋の中を覗き込む中年女性。そしてその後ろには1人の男性と、どうやら更にその後ろにも何人かの男性がいた。「なっ、なんなんだぁー!?」と驚いて布団から飛び起きた。咄嗟に隣で眠っていた「まさ」と顔を見合わせた。そしてその隣りの彼、・・・???
どうだろう、いつの間にか「○○○はし君」の姿は消えて居なかった。
確かに昨日の晩は3人で寝たはずなのだが・・・。
しばらくは、いったい何が起こったのかまったく状況が把握できなかった。それに自分が何処にいるのかさえ本当に不安に思ったくらい動揺した。(こんな感覚的経験は何度かしているが・・・。)
突然その女性が「あんた達!誰?なんでここに居るの!!?」と怒鳴って聞いてきた。こちらとしても突然見ず知らずの人に怒鳴られて、「なんで・・・」と聞かれても・・・。
私はその質問に、素直に「○○○はし」君と友達で、昨日遊びに来てここに泊まらせて貰っていますけど。・・・?と答えると、女性が「本当に友達!?」と、また怒鳴って聞いてきた。
「そうです。」と答えると、その女性は後ろにいた男性の方に振り返ってごちゃごちゃと話し始め、そして直ぐに「あんた達、昨日からず〜っとここで寝てた?」と聞くので、「はい。」と答えると。また後ろを振り返って話し始めた。
それから間もなく女性の後ろにいた一番後ろの男性、2人が前に出てきた。
その姿を見てビックリ!2人とも警察官さぁ。本当に驚いたねぇ。「ドキッ!」なんてものではなかったから。とにかくこの時は驚いた。「なっ!なんなんだぁ?いったい・・・」ってな感じで、心臓が破裂しそうになったくらいビビったぁ。
不思議なもので悪い事をしていなくても施設育ちのせいか、警察官を見ただけでその場から逃げようと反射的に考える脳みそ。
逃げ場の無いその部屋に、2人もの警察官が突然現れたのだから驚くどころの騒ぎではなかったよ。
一人の警察官が、「君達は本当に○○○はし君の友達なのか?嘘を言っても本人に確かめれば直ぐにわかるんだよ!?」と聞いてきたので、「はい、本当にそうです。」と答えた。
その時こうして受け答えをしたのは私で、「まさ」はまだ一言も答えていなかった。唯一、後で警官が、「君も○○○はし君とは友達かい?その彼とも?」と聞かれた時に、「そうです。」と一言だけ答えただけ。
そして女性が、「貴方達は○○○はしとは何処で知り合ったの?」と聞いてきたので、「はい、大沼学院で・・・。」と答えたその瞬間、本能的に「マズイ!」と思ってしまった。自分でもその理由ははっきりとは解らないが、何故かそう感じた。
案の定。それを聞いた一人の警官が、直ぐさま部屋を出て階段を駆け下りて行った。
ここで沈黙が続いた。どうやら私達の身元を調べに行ったらしい。咄嗟に、「学院に問い合わせて、脱走している少年達がいないかを調べに行ったなぁ!?。」と想いましたよ。そしてその後想った事が、「こうして社会に出て来ても、何処の学校を卒業したの?とか、何処で知り合ったのか?と聞かれる度に大沼学院と答える事は、話したくもないもう終わった嫌な経歴なのに何故言わなくてはならないのか!?」という事が悔しかった。
それがあらゆる場面に於いて不利だと感じていたから。
この後も、様々な出来事に於いて、「大沼学院」という経歴が付き纏った。いったい幾つ経験したらそうはならないのか、咄嗟に聞かれると反射的に「大沼学院」と答えてしまう自分の馬鹿さかげんに腹が立ったのは数知れない。 それよりも何よりも、その後も「大沼学院出」という事だけで悔しい思いをしたのは数知れない。
「大沼学院」って普通の方は知らないから、結局「それって何処の高校?それとも何処の大学?」と言うような感じで聞かれるから、結局は「・・・」と黙ってしまう。
その不自然さが相手に不信感を抱かせている訳。
まずまず、「大沼学院出」と言うそれだけであらゆる事に於いて不利だったし、事件があれば必ず最初に疑われたのは言うまでもない。聞かれずとも相手の「目つき」で判る様になっていましたよ。嫌だったなぁ〜その時の「相手の目つき」
それが原因なのか、一時期、私も非常に目つきが悪い時があった。そんな事がきっと要因になっているのかも知れないね・・・。
そんな思いを体験するのは、そうした経験を持っている者にしか在り得ないだろうね。
まじめに、そして正直に、これから社会で一生懸命頑張って行こうとする者達にとって、たったそんな事が人生を狂わせてしまう事だって往々にしてある事を世間の人はどれだけ知っているのだろうか?・・・。
たった「そんな事」。されど「そんな事」さぁ・・・。
人は誰も、どんな人も、「弱い生き物」。どんなにいきがってみても所詮は人に支えられ、支えあって生きている。ただ、それに気づいている人格の持ち主なのか?またはそれに気づいていない愚か者か?の違い。
人は支えあって生きている。だからこそ成り立つ「人間関係」。
理屈は私も学院で学んだ。が、しかし、それに気づいたのは何年も何年も先の事。
そうして気づいたのも、やはり経験から・・・。
自分は「普通じゃない!?」
ここで話を戻して、部屋に突然入ってきた人達を整理してみよう。最初に怒鳴って聞いてきた中年女性は、「○○○はし」君が勤めている会社の社長の奥さん。で、その直ぐ後ろにいたもう一人の男性はその会社の社長さん。そしてその後ろに警察官が2人。
なにやら「無線で」なのか、本署に問い合わせをしに階段を駆け下りて行った警察官が部屋に戻ってきた。そしてもう一人の警察官になにやら耳打ち。
私はその姿を見て「なっ、なんなんだぁ?」と思いつつ、自分達は何も悪い事などをしていないにも関わらず、私は「スキあらば」と、とにかく逃げる事を考えていた。結果として、逃げるスキが無くて幸いだったが・・・。
周りは壁。逃げ場の無い部屋の中で目の前には突然現れた警官がいれば、本能なのかなんなのか悪い事をしていなくても逃げるスキを見計らっている自分。
そんな警官を見ただけで動揺するようなそんな自分を、「こんな自分じゃまずい!自分を変えなくちゃ!」と、その後の多くの経験を素に改善しようと努力した一つ。
そんな自分の動揺を察してか、警官の一人が「君達、なにか悪い事でもしたのか?」と聞くのです。普通の人でさえこんな状況で突然なら動揺するだろって!まして「学院出」の自分達にしてみれば、何も悪い事をしていなくたってビビるって!
普通の人はこんな状況下の中では動揺しないのかなぁ〜?
私は、「悪い事はしていませんが、とにかくビックリして・・・。」と答えましたよ。
それから名前・住所・親の名前などを質問された。
「まさ」はすらすらと答えていた。しかし私は、・・・。
実は、ろくに自分の住んでいる住所や親の名前もよく分かっていない。そんな事がありえるだろうか?・・・。常識的に考えて「親の名前」を知らないなんて考えられない事だろうけど、私にはありえる話。いや、それが事実。
あたふたしながら顔中汗をかきまくって答える私のその姿を警官が見て、「どうしてそんなに顔に汗かいているんだ?」と聞くのです。そんな事聞かれても何も悪い事をしている訳ではないけれど、まるで犯罪者が質問されて動揺しているみたいに顔中汗だらけになっている様なその姿は、自分でさえ「どうしてこんなに動揺して汗が出てくるんだろう?」と不思議だった。
それに、「これじゃ〜、悪い事してなくても自分は悪い事をして隠しています。と言っている様なものじゃないか!本当に悪い事をしていなくても犯人に想われる!」と、なんとか平常心を保とうと頑張るのだけれど、そう考えれば考えるほど、その想いとは裏腹にジャンジャン汗が出てくる。この症状には、この先もえらい苦労をした。
「まさ」への職務質問はあっという間に終わった。が、私は何をどう答えていいのか、いくら正直に自分が知っている事を答えようとしても、ろくに親の名前すらも憶えていない。その事が警察官に不信感を抱かせていたらしく、何をどう話しても信じてはもらえない始末。話している本人でさえ自分がメチャクチャな話をしている事はわかっていた。
こんなやり取りが、後のいくつもの出来事ででも、「自分が知っている事を話しても信じてはもらえない」という事に気づき、いつしか「だんまり」を貫き通す様になった。が、その「だんまり」が後の出来事でもとんでもない事となったことは言うまでもない。
当時、私の保護者(オヤジ)が「山田???」という事と、オヤジが「山田組」という会社を経営していた事だけは憶えていた。しかし名字は憶えているものの、名前は憶えてはいなかった。
幸いな事に、自宅の電話番号だけは憶えていた。それを警官に伝え、「自分では親が誰で住所が何処なのか答える事はできないから、ここに電話して欲しい」と電話番号を教えた。まったく馬鹿げた、嘘のような本当の話。
自慢じゃないですが、本当に自分の親の名前や住んで居る所の住所なんか憶えていなかったのです。幼い頃、次から次へと親や周りの大人達の顔ぶれと環境が頻繁に変わったものです。その度に周りでちゃんと教えてくれる大人は居ませんでしたよ。
だから大沼学院の住所は何十年も経った今でも復唱できますよ。郵便番号もね。
電話番号を教えた後は、早い話「派出所」へと連行された訳ですが、続きは次回に掲載させて頂きたいと思います。と言うのも、今回どうしてもある方にメッセージを送っておきたいのです。
もう昨年の事になりますが、Xmasも近い12月15日。一枚のXmas POST CARDが、私のところに届きました。
差出人のお名前はありませんが、以下の文書が書かれてありました。
自分が
この世に生まれてきた意味
今まで生きてきた意味
そして
これから、生きていかなければ
ならない意味
貴方のホームページを見ながら
その答えをさがしている人間が
この世にひとりいることを
どうか、忘れないで下さい。
私にはとても重く感じる文章です。
文章こそ短いですが、私にはとても重たく、そしてとても人事とは思えない文章なのです。
Xmasカードを贈ってくれた貴方へ
私の「こんな人生だからこそ」を見てくださっているんですね〜・・・。ありがとう・・・。
お手紙ありがとう。とても勇気のいった事だと思います。 ありがとうねぇ〜。
「この世に生まれてきた意味」
「今まで生きてきた意味」
「そして これから、生きていかなければならない意味」
貴方が自分の今の気持ちを素直に書いてくださったこの文章ですが、この文章を見て、正直、私は背中に「寒気」を感じました。昔、私自身が幾度も感じ、そして、その頃の自分の「心のさま」を原稿用紙に書き綴った文章に非常によく似ているからです。
私は、昔の「思い出」となる物を、「ある時」殆ど処分してしまいました。賞状もメダルも、何もかも・・・。特に、「大沼学院」と書かれてあるものは一つだけを残し全てを・・・。
そんな殆どの物を捨てた中で、唯一の「残し物」として、「心のさま」を書き綴った原稿が何枚か残っているのです。その中の一枚の原稿に書かれてある文章とよく似ているのです。
私の事を話せば長くなりますから今回は書きませんが、これからも私の「こんな人生だからこそ」を、最後まで読み続けてみてください。きっと何かに気付く筈です。
これは私の人生経験からですが、「自分がこの世に生まれてきた意味」をいくら追求したところで知り得ることはできないと思います。それでいいのだと思いますよ。私はね!
私はこの事で、幾度も幾度も、随分と一人で苦しんで考えた時期がありました。
誰も聞いてはくれる人もいなかったしね・・・。
そして、「こんなに辛いのに、何故これから先もこんな思いをして迄も生きてゆかなければならないのか?」とね・・・。
「自分が生まれたくて生まれて来たんじゃない!」
「こんな家庭に生まれたかった訳じゃない!」
「親が勝手に産んでおきながら、まるで自分は物みたいに、あっちにこっちにたらい回しにされて!・・・自分だって皆と同じ『心ある一人の人間』だぁ!荷物なんかじゃない!」
とね!他にこの何十倍も何百倍も、心で感じた痛みは沢山あります。
これからの「こんな人生だからこそ」に書いて行くことではございますが、幾度も幾度も、こんな事を思い、そして苦しみました。
でもね〜、でも、今本当に「よかったぁ!」と思っています。
「生きていてよかった」とね!
あの時もこの時も、「もう、この一歩」を踏み出すことの勇気が無いばっかりに・・・。
きっとそれは、自分には分からない「使命を持ってこの世に生まれてきている」からなのでしょうね。
自分の使命は何なのか?今になってもまだ私自身、その使命はわかりません。しかしながら、唯一実感として私が感じることは、自分が知らないところで、自分が気付かないところで間違いなく自分は「守られてきた」という事です。
その証を、これから先の「こんな人生だからこそ」で書く事となります。それがわかるのはもう少し先の事ですが、すべて事実です。自分の知らないところで、「使命」を持ってこの世に生まれてきているのです。そして自分の知らないところで、「活かされているのです」。
誰もが守られているのです。貴方も私も。そしてどの方々も・・・。
ただ、それに自分が「気づいていない」だけなのです。
そんなものです。それでいいんです。
いつしか気づくその時が必ず来ますから・・・。それでいいんです。
どんなに悲惨な環境で生まれた方にも、全ての人は皆『使命』を持ってこの世に生まれてきていると私も思うのです。今だからそう思えるようになったのですが・・・。(今になってやっとですよ。)でも、正直まだはっきりとその実感はありません。それでいいのではないでしょうか。
この事については、どの方とも言い争いをするつもりも、また、私の考え方を受け入れて貰おうとも、押し付けようとも思いません。
だってこれは理屈抜きで、「身をもって体験した者にしか解り得ないもの」だと自分の体験からそう思うからです。
ある日の深夜にテレビを観ていて、コマーシャルになったので何気なくチャンネルを変えたらある番組でリモコンを押す手が止まりました。
その番組では、なにやら「いじめ」を題材としてフロアーの真ん中で椅子に座る司会者と、ある学校の先生。その先生はここ最近、深夜にも関わらず色々な番組で私もよくお見かけする方です。そしてその方達の周りをぐるりと囲んで座る子供達。
そんな舞台設定で意見を言い合っている様子。
私が見たのは、ちょうど一人の女の子が、舞台の中央で座る先生に、「先生は嫌だったら勇気を出してはっきりと『嫌だぁ!』って言いなさい!」と言いましたが、「それは無理です!」とその女の子が答えているのです。
それに対して先生は、「それだからいけないんだよ!嫌なら嫌とはっきりと言わなくちゃ!」と説得されていましたが、私はそれを聞いていてこう思いました。
そんな時いつも思うのですが、「それは理屈だぁ」と・・・。
実際にいじめの現場にいて、まして自分がそのいじめを受けている者でなければとても理解し得ない事があるからです。それは理屈なんかじゃない!
実際にいじめやリンチに遭っているその時に、「嫌だぁ!やめてくれぇ〜!」と叫んだところで、それは身を守るものとなるどころか、より拍車を掛けてしまう事が往々にしてあります。これも自分の経験からですが・・・。相手が興奮していればしているほどです。
私は加害者にも被害者にもなった経験を持っています。今、その事を振り返ってみて、愚かだった自分に気づかせられます。
でも正直、「記憶から消せるものならば、今すぐにでも消してしまいたい!」と思う記憶です。
ですがその記憶もいずれ。この「こんな人生だからこそ」に書く時がくるでしょう。
「自分への戒め」もあるからです。
実際に体験した者達だけが感じる恐怖感。
誰から聞いた訳でも無く、誰から教わった訳でも無いけれど、そんな時の選択は私には二つありました。
一つは、ただひたすらに耐え、内に力を込めて身を守る事。
まるで犬が身体を丸めて弱いお腹を守る様に・・・。
そしてもう一つは、徹底的に、刺し違えてもいいから負けない!と立ち向かう事。
私が今こうして命が在るのは、「守られていた」以外に他ありません。
「嫌だぁ!やめて!」と叫んだだけじゃ何の解決にもならない。
実際にそんないじめを受けている子供に、「黙って受けていないではっきりと、やめて!と言って意思表示をしなさい!」と助言する事よりも、そんないじめに遭っている子供や、いじめている子供達に、はっきりと「やめなさい!」と叱ってやれる大人達があまりにも少ない事の方がとても問題です。
他人の事は無関心。
見て見ぬフリ知らぬフリ。
幾ら「善い・良い」事を言っても、頭の良さそうな知識いっぱいの教養溢れんばかりの文句を並べても、私にしてみれば所詮は机上での屁理屈。
「ならあなたもやってみなさい!」と言ってやりたくなります。
私は耐えもした。そして勝てる相手でない事がわかっていても向かって行きもした。
いくらこちらが不利とわかっていても、自分を捨てる訳にはゆかずにね・・・。
多くの痛みも、また数々の嫌な経験も沢山したけれど、でも今こうして自分という自分が存在しているのは、生きていたからこそ・・・。活かされていたからこそ・・・。
それを知り得、そして見極める為には、どうしても、とても多くの月日が必要なのです。
今の私は、辛い時、苦しい時、誰かに手を差し出して助けて貰いたい時、このように考えるのです。だからといって誰にも助けて貰おうと甘えたりはしません。結局は自分自身なのですから。
他人の人生じゃない。
誰に頼まれて生まれてきた訳じゃない。
でも、せっかくこの世に生まれてきたのだから、多くの事を経験してみよう!
そうしたら、もしかしたらそこに自分の知らない「未知の世界」があり、その扉が微かに開いてくれるかも?
その微かに開く「未知の世界」の扉の隙間からこぼれ射す光りを辿り、近づいて行って中の様子を自分の目で見てみたい・・・。
どんな世界なのだろう?・・・見てみたい。
その光りが見えるその日まで、自分を励ましてとにかく頑張ろう!
自分に負けないぞー!ってね。
私の「こんな人生だからこそ」を是非最後まで読んでいってください。
荒町 真樹生の馬鹿者、愚か者のくだらない人生ではありますが、でも私にとって、今までのすべての経験は今の自分に活かされています。そして自分と向かい合って行く事で、見えない自分の先の人生を、一つ一つ手にとって自分で確かめて行きたいと思い自分と闘うことを続けています。
これまでには、多くの物を失いました。
そして多くの方々を傷つけて生きてきました。
そして多くの者達に裏切られもしました。私はそんな時、あ〜だのこうだのと事情を知らない者達に言い触れ回ったりはしません。
そんな事をする時は、自ら名乗り出て堂々とやります。
自分にこそ非があり、相手には何の非も落ち度もないそんな相手を、まるで自分が悲劇のヒロインであるかの様に、事情の知らない者に枝葉を付けて言い触れまわる。それも人を使って。それも、1つ言えば10倍にも20倍にもなって伝えてくれるそんな相手を見つけて・・・。
そんな経験は日常茶飯事のように今まで幾度も経験しています。
そんな生き方をしてふところを肥やして涼しい顔をして生きて行くよりも、私は信頼しあえる者達と共に苦労をし、共に幸せになってゆきたいです。自分一人だけがふところ肥やし、信頼している者達や愛する者が苦しんでいる姿を、ただ見てみぬ振りは私にはできません。
共に苦しみ、共に幸せを分かち合いたいと・・・。
周りの者達が潤うから自分も潤う。この論理は、「成功哲学」にもありますが、そんな人格を持つ器の大きい人物は、そう多くは居ません。私もそんな人物になりたいです。
傷つける事を平気で出来る人間より、傷つけられ痛みに気づく人間である者の方がよっぽど人間らしいし、素敵な人だと私は思います。
悩み傷つくという事は、人の悩みや痛みを知り得る為の素であり、その経験こそが「自分はいったいなんの為に生きて行かなければならないのか?」という事を知り得る事が出来る鍵ではないでしょうか?
どの方も大なり小なり、心に傷はお持ちでしょう。私も特殊な、普通の方ならつく筈のない傷を持っています。でもね、それを「傷」としてしっかりと心に刻み、その痛みをけして忘れぬようにしています。その痛みを忘れた時、今まで自分で築き上げてきたせっかくの何かとても大事なものを失ってしまうような気がするからです。
もしそれを失った時、それに気づき立て直そうとしようと思った時には、もう自分にはその気力も体力も、もしかしたら命さえも無い時ではないかと思うからです。立て直すにはとてもとても時間が掛かるからです。
何よりも、前向きに生きて行こうとする事がとても大切なのではないかな〜と私は思います。簡単に言っていますが、とても大変なことですよね。私にも、それはわかっていますよ。
傷を隠そうとせず現実をしっかりと見つめ、前向きにまだ見ぬ本当の自分の幸せを見つける為に歩き続ける事の方が私らしい生き方です。
見てみたいんだぁ〜光りを・・・。そんな事なんて無いかもしれない。でもなんだかそんな「時」が自分にはあるような気がしているのさぁ〜。そう思えるだけでも「幸せな奴」でしょ!
傷を隠す事は容易。しかし傷を癒してあげることはけして容易ではないよね。
とても勇気がいる事です。とてもとても勇気がいることです。自分と闘う勇気がね。
この「こんな人生をだからこそ」を、見て下さっている方が貴方お一人でもいる事に、感謝です。本当に感謝です。ありがとう・・・。
頑張ろうね〜。自分の為に、まだ見ぬ本当の自分の幸せの為に、頑張ろうね〜!
微笑むんだよ。「そんな気分でない時」にこそ、微笑むんだよ!
私はそれがとても苦手。だから頑張る〜!! 一緒に頑張ろうね〜。
お手紙ありがとう・・・。
マキ先生こと、荒町真樹生
まきおの『こんな人生だからこそ』へのご意見やご感想はこちら(荒町宛て)までお送り下さい。


