まきおの『こんな人生だからこそ』

第11章 「こんなチャンスにも・・・。」

はじめに

 前回(12/1)の更新時に掲載する予定だった「ある先生に特に気に入られていなかったためなのか、あるチャンスに恵まれなかった」の、原稿を今回は掲載させて頂きました。

リトルリーグ地区予選の時の事

 それは、私がまだ小学5年の時の事。学院に初めて野球のリトルリーグが発足され、ユニホームには確か「ヤクルト」というロゴが付いていたと思う。ヤクルトがスポンサーだったのかな〜?まぁ〜ともかく、小学生でカッコイイユニホームが着られる事に感動していたなぁ〜・・・それに新しかったし!ユニホームもスパイクも、何もかもがみんな新しい物だったからとっても喜んだっけぇ〜。その時の監督が私の居た寮の寮長「N先生」だった。

 このN先生はスポーツ万能な先生だったなぁ〜。怒れば怖い先生だったけど、「N先生が監督なら!」と、逞しく尊敬もしていた先生だった。バットでバッシバッシやられた先生だったけどね!ハッハッハァ〜。

 でも、それもその1年目だけ。私が小学6年の時の監督は寮長先生では無く、当時新しく入ってきたF先生が新監督となったっけぇ〜。そして助監督だったか何だったかは分からないけれど、そんな助監督らしきみたいなコーチみたいな先生(K先生)での、合わせて2人の先生が担当した。

 その二人の先生の指導の下、地区予選大会に出場した。
 私のポジションは、リリーフピッチャーを兼ねたレフトがポジション。ピッチャー(エース)はO君と言って、私の隣の寮(芝蘭寮)に居た生徒だったと思う。(これは定かでは無い記憶)

 社会人になるまで気が付かなかったが、私は幼い頃に木から落ちて右腕を骨折。術後の処置が悪かったのか、肘から手が曲がって付いている。その為、右手と左手の真っ直ぐに伸ばした手の位置がまるっきり違った。とは言っても右腕は真っ直ぐには伸びないし真っ直ぐには見えなかったのだが、その曲がった手が身体のあらゆるバランスに悪影響していたという事は知るよしもなく、まして腕が曲がっているという事は当の本人でさえ気付いていませんでした。(変な話です・・・。)
 逆立ちや腕立て伏せをすると、やたら右腕にだけ負担が掛かってしまうのでよほど「左腕に比べて右腕の力が弱いのかなぁ〜?」なんて思っていたぐらいのものでした。
 まぁ、とにかくバランスが悪かったでしたねぇ〜。だからボールを投げても腕の振りの軌道が悪く、肘にはかなりの負担が掛かっていました。けれど、そんな負担も根性と体力で補っていましたが、投球ホームが「ホーガン投げみたいだ!」と、よく仲間からは言われていました。が、思いやりなのか何なのか、誰も腕の事について馬鹿にしたり聞いて来たりはしませんでしたねぇ〜・・・。

 ボールはそこそこ速いがコントロールが定まらない。しかし腕が曲がって角度がついている為に変化球は異常なほど変化した。でも当時のリトルリーグでは変化球は禁止だったと記憶にあり、変化球が投げられなかった覚えがある。
 腕の振りから手先へのイメージ(軌道線)が一本にならず、ただひたすら意気込みだけで投げて練習していた事を思い出す。

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チャンス到来!の筈が、時すでに遅し!

 地区大会開催地が七飯町だったか大森町だったかは覚えていないが、いずれにせよ近くの場所で地区予選大会が開催された。(ちなみに学院は七飯町。)

 相手チームは決して特別強いチームではなかったと記憶していて、それでも前半は苦戦。中盤に差し掛かった頃、私達チームのエースが崩れ始め、守っている時間がやたら長くなり始めてしまった。その時に、「何でピッチャーを交代させないのだろう?」と、選手の誰もが思った事と思うが、それぐらい崩れてしまった。

 外野で守っている私は何度も何度もベンチの方を見ては、そんな事が出来る筈もなかったけれど「ピッチャー交代の申し出」をしに行こうかと思っていたぐらいすっかり崩れてしまっていた。でも交代させる様子は無い。そんな状態でありながらも交代させないで投げさせている事が不思議でたまらなかった。まるで負け戦を意図的にしているかの様にさえ感じていた。
 正直、その時の事を振返ってみて思うが、子供の教育にはあまり好ましくない環境だった様に思える。それに対する自分が感じる事をそのまま書き続けてしまっては、またお叱りを受けそうなので止めますが、自分の気持ちを素直に表に出せなくなってしまう自分の弱さが情けない。弱いからこそ頑張ろうとするのに・・・。

 当然の事ながら試合は負けました。
 試合終了〜!ホームベンチの前に相手チームと向かい合って立ち、「有難うございましたー!」と一礼。そしてベンチに戻って帰り仕度をしている時に、補欠でベンチにいたA君がわざわざ私のところに寄って来て、「監督とコーチの話す会話を聞いていたけど、ピッチャーを鈴木(当時の私の名字)に代えるか!?」と監督がK先生に尋ねたところ、K先生は、「嫌!このまま投げさせよう!鈴木は出さなくて良いから。」と、まるで鈴木に投げさせたくない様な言い方をしていたぞ!と、言うように聞かされたのです。それを聞いて私は、「よっぽど、このコーチには嫌われているんだなぁ〜」と思いましたよ。その嫌われている要因は、当時の私には何だったのかは分かりません。が、私が中学生のある日、講堂(現在の学校では体育館に当る様な場所)で、その先生も一緒に卓球をしていた時の事。
 そのK先生が、他の生徒に話していた事を後から耳にしました。(学院内での生徒達の事は鈴木に聞け!鈴木は何でも知っている。)その通り!まさかこんな事を私が知っているとはF先生もK先生も知らなかっただろうなぁ〜。でも、あくまで他人からの話。直接本人から聞いた訳でもないからそれを鵜呑みにしてはいけない事は、今でも充分に経験させて貰っている。

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チャンスは自らの手で掴み取る物ではあるが、・・・。

 「今この学院で一番カッコイイ生徒は「み○〇」か、「鈴木」のどちらかだなぁ〜。二人とも顔も良いし、鈴木なんか良い体しているから憎たらしいよなぁ!俺は、み○○の方が好きだな!」と、話していたという事を耳にしました。(ちなみに、この話してくれたのはA君では無い。)
 その事を聞いたその時、リトルリーグの時の事を思い出した。「俺に投げさせなかったのは嫉みや僻みからだったんだ!」と思いましたねぇ〜。それ以来、K先生に好かれる様にするどころか、K先生をすっかりナメていました。
 「なに、この偉そうに!気取りやがってー!!お前こそ、カッコつけてるんじゃないぞ!」てね。
 ちなみにK先生のあだ名は、私達の間では「カッコマン」でしたよ!

 でも、そんなK先生の気持ちも今なら理解できますよ。K先生も若かったのですねぇ〜・・・。
 K先生も、監督だったF先生も、学院には私より後から入って来られた先生達で、初めて学院に来た時は「大学から実習生」で来ていましたから、チョット甘い顔をしたら生徒には直ぐにナメられたでしょうからねぇ〜。私も中学2年まではそれ程強くは思ってはいませんでしたが、中学3年の時にはK先生の事はナメていましたね〜。K先生には、絶対負けてたまるかぁ!って。
 あまりに正直に書き過ぎですかねぇ?・・・。でもK先生、こうした経験が有るお陰で根性もつきましたし、人の「心」も少しは解かる様になりました。善い意味で、今それらがとても役に立っています。 

次章の予告(我ら青春!)・・・何処かで聞いたような???

 監督だったF先生は、K先生とは違っていましたね。腹を割って話せば生徒の気持ちも理解してくれる、そんな生徒の叫びを聞き入れてくれる先生の様に私は感じていました。これと言って「ひいき」にされた事は有りませんでしたが、好きな先生の一人でした。若かったし、カッコイイ先生でしたから。

 そんなF先生とも、私が中学3年の冬に「前代未聞」の事件が有ったのです。(先生達にすればですが・・・。)その時も、矢張りこってり寮長先生にヤキを入れられましたが、その時の事は次回書きますが、私としては、F先生だからこそ向かっていったのです。でも所詮は、「檻の中で飼われている動物」の様なもの。言う事を聞かなければ餌を与えられず、殴られて正座させられて。まして逆らえば、その何倍にもなって殴られ正座させられて・・・。どうあがいても、「檻の中で飼われている動物」みたいな様なもの。でもこれだけはくれぐれも付け加えておきますが、当時の学院の全ての寮がそうだったのでは無いのです。

 いずれにせよ、当時の私は、本当に運もツキも無い奴なんだなぁ〜と思っていましたよ。捨てる神在れば、拾う神在りなんて、そんなの真っ赤なウソだぁー!とね。
 でも、なんだかんだと言っても今の私がこうして在るのは、そんな数々の体験のお陰です。それら沢山の「誰にも出来得ない経験」が有ったからこそ、社会の風に大いに揉まれながらも更なる新たな経験を沢山させて頂いて、そして多くの事に「気づく」事が出来ました。生きている限りは、いつまで経っても「人生小学校」の一年生なのですねぇ〜・・・。

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目に見えない物の見返りは、はかり知れない・・・。

 話は変わりますが、私もこうして先生という同じ立場に立ち、また、経営者としての立場からスタッフを「育てる」という作業をしていますが、正直、人を育てるという事はとてもとても大変で、難しいですねぇ〜。また、本気で育てようとすればするほど、表面的には得な事など一つもありません。周りからは良くは云われませんし、人様には見えないところで大変なエネルギーを使います。ですがその見返りは、はかり知れないくらいに大きいものだと私は思っています。現に、成長してゆくその者のその様を、この目で見て、感じて居られている事が私にとっては何よりにも増して大きな見返りとなって感じています。だからとても可愛いですよ!それだけでも充分ですが、いずれその者が自ら望んで飛び立つその時が来た時にこそ、私は快く送ってやれるそんな自分で居てやらなければと、その時の覚悟も心構えもしているつもりです。私にはそれとは全く逆の経験が有るからこそ。
 以前、そんな私の思いを面前の前でハッキリと自分の口からも話した時がありましたが、話せば話すで「本当にそんな風に思っている奴なんか居るわけは無いだろぅ!」と言われる始末。これじゃ〜いったい何を信じて良いのか分からなくなり、人間不信に陥ってしまっても決して不思議ではないでしょう。ですから今ここで、幾ら活字にして私自身が書いたところで、私にとっては何の意味もありません。事の全ては、「行動」だと私は思っています。自らが行動してこそ、そこから初めて「信頼という種の芽」が出てくると思っています。
 信頼の種を植えるのも、またそれを育てるのも矢張り「自分」。その信頼という芽がやがて実をつけたその時にこそ、どの様な絆よりも強い何かが生まれてくるのかも知れません。

 弱いからこそ自分と闘い、必死にもがくのです。本当に強ければ自分と闘う必要なんてありません。弱いと感じるからこそ、これではマズイ!と自分と闘ってしまうのです。今だって、大なり小なり負ける時があります。その度事に自分が情けなくなってしまいます。そんな闘いに疲れ果てて、もう諦めようと思う時だってあります。でも、結局は諦めずに頑張ろうとします。
 それはどうしてか!?それは、自分に負ける事が何よりにも増して辛く、何よりにも増して情けなくなるからです。でもそれは、「生きている」「活かされている」事の証では無いでしょうか!?

 自分自身が弱いと認めているからこそ自分と闘い、そして「もがき苦しむ」のでは無いでしょうか!?・・・。 「こんな人生だからこそ」は、私のそんな弱い自分と闘う一つの媒体です。

荒町 真樹生

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