第10章 「たった一度の脱走」続編
はじめに
私の半生の生い立ちや所業について書くことは、世間では恥なのでしょうが私にしてみれば「世間的恥などクソくらえ!」です。恥を恥とも感じず、そして心も痛めず。また、恥を隠し「心」の外面と内面を使い分けて生きて行く事の方が今の私には辛い。 自分に素直で正直でありたい。私が当時居た「芳泉寮」の寝室の壁には、「人に劣る者は陰で努力せよ。」と書かれた額が張ってあった。また、「陰日向の無い大人に成れ!」「人の嫌がる事を率先してやりなさい!」と教育された。だが、社会に出て世間の風に当たりながら感じた事、経験した事は、「そんな学院で学んだ素晴らしい人生哲学は世間では単なる理想論であって、そんな生き方をしている者は馬鹿をみる!」だった。いつも背中には目に見えない「施設出・非行少年」という看板を背負っているみたいなプレッシャーをどんな時も感じながら生きて来た時期がある。
そのギャップに耐え切れずに、はじけて割れた時も有る。そして誰も手を差し出してなんかはくれなかった。たとえそれが親であっても・・・。だから一人ぼっち。何時も一人ぼっち・・・。
結果、自分は過去には随分と恥じるべき所業を数多くしてきた。
そんな自分が過去に居たから今はこう思える。
「クソったれー!もう一人のお前には絶対に負けない!!!」と。
こうして公共に曝す事で私と同じ様な、暗く恥ずべき「生い立ち」や「境遇」など。また、私の何倍、何十倍もの「辛い経験や悲しい経験」を持たれ、誰にも話す事も出来ずに一人で心痛めながら何とか「立ち直りたい!」「頑張りたい!」と悩み苦しんでいる方や、「もういい!」「どうせ私の人生なんか!」と諦め様としていながらも、人の手(心)の温もりに飢え、「誰か助けて〜!手を差し出して〜!」と、心で叫びながらも声に出して叫べずに必死にこらえている方に、この私の半生の恥ずべき生い立ちを書いている「こんな人生だからこそ」を見て、「こんな人も居るんだ!」「それなら自分も、もう一度頑張ってみようかな!?」と、どんな形でも、何でも、とにかく、少しでも「勇気を別けてあげることができたなら・・・。」と書いています。そんな袖触れ合う縁が、この「こんな人生だからこそ」にあればと願い、恥と感じていながらも今回も書きます。
だから愚か者なのでしょうが・・・。
今回は前回の第10章「たった一度の脱走」前編に続く、[続編]です。
一、美味しいモノ、良いモノには虫がつく
彼、T・F君の「家に帰りたい!」と言うその言葉に私も同情して「力を貸してやろう!」と思い、彼と共に脱走する事となってしまいましたが「何で逃げたりなんかしてしまったのだろう!」という自問自答はありませんでした。それどころか、「一緒に逃げてやった」という妙な満足感みたいなものがあったほどです。後で捕まって、とんでもなく痛い思いをしても後悔はありませんでしたね! 彼と共に、まだ夜も明けぬ国道5号線をただひたすらに歩き続けました。
歩いて歩いて歩き続けた末に、長万部(おしゃまんべ)町の駅前にたどり着いたのです。(歩き続けるのには凄い距離だったと思います。)
とにかく、着いた時にはお腹がペコペコでした。所持金が有るわけでもないし、それに食料を持って逃げて来た訳でも無かったでしたから・・・。でも長万部に着くまでに、実は途中で一度だけ食べ物を口にしたのですが、その時の事を思い出すと今でも可笑しくて笑ってしまいます。
それは国道沿いを歩き続けて札幌へと逃げている最中の事。
八雲町に差しかかった時、道路左側の丘の向こうに何やら実が生っていそうな木が沢山あるのを発見!国道から急斜面の崖を駆け上り丘に登ってみると、あたり一面プラムの木・木・木。
触れてみるとまだ実は硬く青々としていていましたが、それでも「食べられる物であれば何でも」と、見付からない様に辺りに注意を払いながら少しでも柔らかそうな物を探してはガリガリとむしゃぶりついたのでした。そうして無我夢中で何個かむしゃぶりついていた時に、口の中で「グニュ〜!」という食感と異様な苦味を感じて思わず吐き出してしまいました。その吐き出した物の中には、プラムと一緒に「ニョロニョロ」とまだ生きて動いている何かの幼虫がいたのです。(たまりませんでしたね〜。)「このプラムに虫はついているかな?」などと、手にしてプラムをじっくり調べてから食べる余裕もありませんでしたね〜・・・。だって!これって「盗み」ですからね〜。
目は辺りを見渡す監視役に神経を注ぎ、そして口はただひたすらプラムへ。その時の手から口へのプラム運びは、まるで「ベルトコンベアーの流れ作業の様」でしたよ。その時の自分の姿を思い出すと可笑しくて・・・。
考えてみれば、そのプラムも美味しいからこそ虫がついていたのですよね!でもその幼虫を見た時には、彼も私も大慌てで既に胃の中に入ってしまったプラムを何とか全部吐き出そうとして、指を口の奥深くまで突っ込んで「オエ〜、オエ〜」しましたよ。(その時の光景を思い出しながら、また笑ってしまいました。)
全部を吐き出せる筈も無く、だからと言ってこのまま食べずに去る訳にもゆかず、その後は幼虫が入っていないか?虫が喰っていないか?を確認しながらまた食べましたよ。(よくお腹を壊さなかったものです。)
こうして何とか少しは腹を満たす事ができ、後で腹が空く事も考えてポケットに詰められるだけ詰めて、また札幌方面へと歩き始めたのでした。
二、歩き続けてある町に辿り着き
彼の目的地は釧路。では何故、札幌に向かったのか!とりあえず私の親が居る札幌へ行き、着いたら電話して今回の脱走の事情を話せば、オヤジは「きっと、力を貸してくれるだろう・・・。」という安易な考えではありましたが、そう考えての札幌行きでした。それに「きっと、お金も貸してくれるだろう・・・。」と、正直そう思っていました。だから、とりあえず札幌に行けば何とかなると思い込んで札幌に向かって歩き続けていました。
こうして延々と歩き続けた結果、何とか見つからずに長万部町という町にたどり着きました。
長万部の駅の前に着くと、わずかではありますが国道沿いに商店街が続き、ここで何とかしないとそこから先の国道沿いは、民家の無い非常に見つかり易い、あたり一面見晴らしの良い一本道。その国道沿いを歩く為には、夜中に歩かなければならないと思ったほど見晴らしの良い一本道が続いていました。そんな国道を夜中に子供二人が歩いていたのでは怪しまれて捕まってしまう。だからと言ってここに居る訳にはいかないし、こうしてただブラブラしていたのでは見つかってしまう!みたいなことを二人で話しましたね〜。
あぁ〜だのこぅ〜だのと話した結果、二人で考えて出た答えは、”ヒッチハイク”でした。
ヒッチハイクを何度も試みたのですが、車はなかなか停まってはくれませんでしたね〜。そうしているうちに、仕舞にはパトカーが向かってくる始末。「巡回」だった」のか通り過ぎはしましたが、その時の私達には冷静な判断がつくはずも無く、慌てて隠れた始末。(この時は焦りましたね〜・・・。)
延々と辺りに神経を配りながらヒッチハイクをしていると、すっかり夜になってしまいました。「こうしてばかりいたのでは、捕まってしまうのも時間の問題だ!」そう思いながらもヒッチハイクをし続けましたが・・・。
ここ迄はハッキリと覚えているのですが、ここから先の記憶が・・・。
三、記憶の欠損からの不安
結局は札幌まで行けたのですが、それまでの足取りが全く記憶に無いのです。私にはそんな経験が数多く有る為に、いったいどの記憶がどの時の物なのかが判断出来ないくらい記憶がゴチャゴチャなのです。
ヒッチハイクをして札幌に行けたのか、或はどこかの民家にでもお金を盗みに入ってそのお金で切符を買って札幌まで行ったのか???・・・。今ではその部分の記憶が全く無いのです。
自分では忘れていると思っているそんな記憶も、きっと脳の何処かに残っていて催眠術でもかけてみたらハッキリ分かるのだろうな〜と思ったりもします。自分でも、「そんな忘れていると思っている記憶を呼び覚ましてみたい。」と、少し怖いですが興味があるのも本当です。
確かなことは言えませんが、民家に忍び込んだのはその時ではなかっただろうか?と思ったりもしています。民家に忍び込んだ記憶が微かながら残っているのですが、果たしてそれが学院を脱走した時のものなのかどうなのかは確かでは無いのです。
何故これ程までに嘘のようなくらい全く記憶に残っていない物もあれば、ハッキリと記憶に残っている物とがあり、その差が著しく激しいのか!自分でも不思議に感じています。もしかしたら、「自分では余程思い出したくない事なのか!?」とか、記憶から消してしまいたいという「防衛本能」からなのか!?・・・。
いずれにせよ、結果二人は私のハッキリした記憶の中では、札幌駅の南口にいるのです。
時間は分かりませんが、すっかり深夜になっていました。周囲には旅人やら放浪者やらと、何人もの大人達が野宿をしていました。そんな野宿をしている大人達に混じって何とか隠れ様とするのですが、あまりに周りが大人達ばかり。私達の身なりは、旅をしている様な服装ではないのがとても不自然で、「これじゃ捕まってしまう!」と思い何処か他の場所で今晩一晩だけ見つからずに眠れる場所をと、駅周辺のビルとビルとの隙間に入り込んでは眠れそうな場所は無いかと探し回りました。その時の風景はハッキリと記憶にあるのですが・・・。
四、逃げ回る事の辛さ
そうして、寝れる場所「安心な場所」を探し回って歩き続け、折角見つけても夜中だというのに何せ人通りが多い。人が通り過ぎる度にビクビクして眠ることなんかとても出来なかった。「これでは捕まる!」という危険を感じては移動し続けていました。そんな事を繰り返すうちに、だんだんこうして逃げ廻る事に疲れてしまい、彼に「もう帰ろうか!?」と私は言い出したのです。そしたら彼は、「どうしても釧路に行きたい!」と・・・。正直私は、もう学院に戻りたい気持ちで一杯でした。その時に、今の本当の自分の気持ちを感じたのですが、「自分は親の所よりも何処よりも、学院が一番良いんだなぁ〜・・・。」と・・・。
自分の好きな事が自由に出来る場所では無いし、寮の規則も厳しかったそんな学院であっても。また、戻れば寮長先生に、こっ酷く「尻ビタ」をされるのは分かっていても、「矢張り学院が好きなんだなぁ〜」「自分の帰るところは学院しか無いんだなぁ〜」と、感じていましたね〜。この事もハッキリと覚えていますね〜。でも本当に、子供としてこんな気持ちになることが良い事なのかは今の私でも判断しかねます。・・・今でも。
普通の子なら、どの子もみんな親の所、家族の住む「家」が一番安心で、何処よりも一番帰りたい「場所」なのではないでしょうか!?
ですが、当時の私にとって、何処よりも学院が一番帰りたい「家」だったのです。今思えば、そんな当時の自分の「幼心」があまりに、・・・しい。
五、心の何処かで理想のオヤジ(親父)を描いていた
とにかく、朝になったら私の親と連絡を取って、事情を話して彼を釧路に行かせて貰う様に頼もうと思っていました。また、その事を彼にも話していました。普段の「オヤジ」はとにかく気が荒くて、何よりも先に手を上げるのが早いオヤジでしたが、でも本当に、「オヤジなら、事情を話したら絶対やってくれる親父だ!」と、私はそう感じていました。「あんなオヤジでも、こんな頼みは聞いてくれる筈!」と・・・。
たとえ相手が大人であろうと子供であろうとも、おかまい無しに容赦なく殴ったり蹴ったり、物を投げてくるオヤジでしたが、そんなオヤジでも人情味のある人一倍優しい一面を持っているオヤジでした。そんなオヤジの一面が、後のオヤジの事業に大きく影響してしまう事となってしまいましたが・・・。
とにかく朝になったら親に連絡をして、私は学院へ。彼は、オヤジに頼んで釧路の親の所に行かせて貰うという事で、「今日一晩、とにかく朝まで何とか捕まらずに居られれば!」と、とにかくビクビクせず「安心して眠れる場所を」ということで決まった場所は、矢張り大人達が沢山野宿する、札幌駅の南口前でした。捕まる危険はありましたが、とにかく一晩だけ野宿しているこの沢山の大人達の中に混じって、二人別々に離れて大人の隣に寝ていれば、その「連れ」と思われて警察にも捕まる確率は低いと考えて、二人が離れて眠る事の不安はありましたが、いつの間にかグッスリと眠っていました。
次回につづく
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