第6章 「最初の調べごと」(後編)
≪はじめに≫
今回は、前回の第六章「最初の調べごと」の続きとなる後編を書きますが、その前に、平成十六年の今日になってようやく犯罪に巻き込まれた方々を守る法案「犯罪被害者基本法案」という法案が成立されましたが、今もなお、罪も無い子供たちが犯罪の被害者となる悲惨な事件が跡を絶たないその悲しみと情けなさから、少し別のお話しをさせて頂きたいのです。何という世の中であろう・・・。
何の罪も無い子供達を・・・。
罪を犯す者の動機が、とても常識では理解し難い精神状態であること。
何故なのか・・・。
いったい誰がこんな社会を望み、そして求めたのだろうか・・・。
物が溢れ、お金さえあれば何でも買える時代。
確かに、「豊かな時代」「豊かな社会環境」ではあるが・・・。
更には「人の魂」までを買えてしまう様な、そんな世の中。
ボランティア活動をしている事が立派だと褒められたりもするが、何であろうがそうすることは「当たり前」のことであって当然であろうと思う。そして、それが人間本来のあるべき姿と私は信じてこれからも謙虚であり続けたい。(昔の自分は、今のこの思いの全く逆の人生を歩んできた!だからこそ・・・。)
これほど迄に物が溢れて豊かになり、更に進化発展し続けている今、得ているものは確かに便利で豊かな物ではあるが、それ以上に人間としての一番大切な何かを失い続けていっているのではないだろうかと感じる。
その犠牲になっているのが「子供たち」なのではないだろうかと・・・。そして罪を犯す者も、実はその犠牲になっている様にさえ私は感じてならない。
私も多くの大切なモノを、自ら望んで失ってきた。(覚悟の上で)
また、自分が気づかぬうちに失ってきたものも数多くある。
そぅ、とても大切なものを・・・。
自ら望んでどんなに曲がった人生を歩んできていても、幸いなことに「素直な心」だけは失われずに守られてきたことには感謝している。
「見ても見ぬ振り、知らぬ振り。」
「やれば損する、知らぬ振り。」
「言えば馬鹿みる、知らぬ振り。」
これらを賢いというのか・・・。
誰がこんな時代を、
誰がこんな社会を、望み創り続けているのであろうか・・・。
それは矢張り、私たち大人達ではないだろうか・・・。
ここは教護院なんかじゃない!
底冷えがするほどの冷えきった講堂に生徒全員が召集されて調べごととなった。そう幕が開かれたのだ。
ある先生が講堂の窓枠のところに腕時計を置き忘れたのが発端だった。先生がそのことに後で気づいて取りに戻ったところ、あるべきその場所から腕時計が消えていたという事で調べごとになった。
何かあれば、たとえそれが先生の不注意であっても、まずはこうして全生徒を召集して何でも調べる様な怖い所なのだと感じた。何でもまずは生徒を疑ってかかる所だと。
そして、それほど「ここの生徒達は悪い生徒ばかりが居るんだ」と。
召集された生徒全員が正座している処、一人ずつ前に呼び出され、第五章でも書いたが、
尻ビタなのだ。まずは五発ずつ尻を叩かれ、生徒全員が一順したら今度は二順目と続いて五発増えての十発叩かれることになるのだ。そして犯人が名乗り出てくるまで回数が増えていくという段取りだ。
この「尻ビタ」が一順で終わった様な気はするのだが、二順したかどうかは記憶には残ってはいないが、尻ビタが終わっても盗んだ犯人が名乗り出てこなかった事は覚えている。
そして今度は一人ずつ別室に呼び出されて個別に質問された様に思う。
結局その腕時計は出てきたのだが、腕時計が出てきてから個別に呼ばれて「犯人はお前か!」と質問されたのか、別室に個別で呼ばれて、犯人が判ってから腕時計が出てきたのかその順番が記憶に無い。
では、時計はどの様にして出てきたのか。正座をしているときに、殆ど私の足元に近いところに腕時計が置かれて出てきたのだ。
後ろに座っていたある生徒が、「先生!ここに腕時計があります!」と叫んだのだ。
その時に、どれほどの恐怖を抱いたかは今となっては覚えている由も無いが、私も疑われたのは云うまでも無い。
私を含めてその周辺の生徒達だけが個別に呼ばれた様な気もする。だが、「これが新米への制裁なのかと恐怖を感じたことも記憶に残っている。
こうして改めて思い出しながら書いてゆくうちに、今ハッキリと思い出したことがある。 並んだ配列順は学年毎では無く、各寮別であったことを思い出した。何故ならその叫んだ後ろの生徒が同じ寮の生徒で、その生徒の顔を思い出してしまったからだ・・・。
その後の私はどうなったかは記憶には残ってはいないが、その時のあの生徒に対する自分の感情がどうであったかを、少し思い出してしまった。
「後悔先に立たず」
こうして書いていながら、更に鮮明に嫌なことを少し思い出してしまった自分に後悔している。
本当に私は愚かな者なのかもしれない。
なんと馬鹿な者なのかもしれない。
思い出さずに済めば、一生思い出さないでいた方が自分にとっては善かったものを・・・。
そして肝心な、「犯人は?」だが、そのことが記憶に無いばかりに、「もしかしたら自分が犯人だったのではないだろうか?」と書き進めるうちに疑心暗鬼になってしまった。
立ちながら恐怖に慄く自分の姿と、正座をしているその右足と足元にある手。自分の手なのか他の生徒の手なのか判らないが、その部分の映像だけが記憶に残っている。更にはその同じ映像を夢で二度見ているのには、私にとっては何か深い意味合いがあるのだろうか?
私のこれからの人生にとって大きく影響するのだろうか?不安がよぎる・・・。
記憶を呼び覚ましてはいけない事だったのだろうか?
また、呼び覚ますべき事であったのだろうか・・・。
頭が重い・・・
教護院とはあんな所の事を言うのであろうか
「教護院とは」青少年少女を正しく更生させ、社会に出てもしっかり自立できるようにと教育し、且つ、有資格者が責任を持って保護する場所が教護院なのでは・・・。
≪あとがき≫
これから先、私の生い立ちを書き続けながら、嫌な過去の記憶を呼び起こし、一生記憶を呼び覚まさない方が今後の私の人生に於いては善かったと後悔するかも知れない。しかしながら、自ら望んでさらけ出す生い立ち。
「辛かった幼い時代の暗い過去」
「忘れたい嫌な過去」
それを自ら進んで呼び起こそうとしているのだが、「どうする?これでいいのか!」という自問自答は無い。
これからどれ程の後悔をするかは知る由も無いが、少なくとも「悔い」だけは無いのは確かだ。
何処まで記憶を呼び覚まし、そしてどれ程苦しむかは計り知れないが、自分と戦うことに悔いは無い。
「最後まで遣り遂げたい!」
どんな結果で終止符が打たれようとも。
私なりの想いがあるから・・・。
私の生い立ち(経験)をさらけ出す事で、
必死に立ち直ろうとする後輩達が沢山いることを信じて。
そして私のしているこの事が、「役に立って貰いたい」という願いがあるから。
そして何よりも、
自分自身のために・・・
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