第5章 「矢張り何かに助けられている・・・」
≪まえがき≫
今回も第四章と同様に、「殺人者にならずにすんだ」ときの事をお話したいと思います。あまりに遠い昔の事、それに何よりも経験が多いためにハッキリとした記憶が飛んでいて自分が中学校の何年生であったかさえ覚えていませんが、映像のように記憶に残る場面を頼りに筆を進めてゆきたいと思います。話はもちろん大沼学院に在籍中の事です。
「そんなつもりはなかった!」
ある日の夕方、青雲寮の生徒と口喧嘩になってしまったのです。何が原因で喧嘩になってしまったのかは記憶には残っていませんが、青雲寮の生徒と芳泉寮(私が居た寮)の生徒とは個人的な付き合いは殆ど無く、普段は話もしたことが無い相手でしたから何で口喧嘩になったのかその理由さえ覚えていません。口喧嘩から始まり、仕舞いには石の投げ合いにまでに発展してしまったのです。最初は相手を脅かすつもりだけで、怪我をさせるつもりなど無かったのです。まして大怪我など・・・。そぅなんです「つもりでは無かったのに!」なんです。
次第にエキサイトしてしまい、後にも先にもたった一度だけ「本気」で相手の顔を狙って投げた石が、本当に顔に当たってしまったのです。(狙っておきながら)
当たった瞬間は「ナイスコントロール!」と思いはしましたが、当たった処が額なだけに相手の痛がる仕草で「あっ、ヤバい!」と思いました。
石なんかを顔にぶつけたらどんなにマズイ事になるかは分かっていたのにです・・・。
もちろん後で寮の先生にこっぴどく叱られバットで何十回も尻を殴られもしました。そのバットで尻を殴られる様子とは、卓球台の上に両手を着き両足を肩幅ぐらいに開いて立ち、尻を後ろへ突き出したスタンディングポジションとでもいいましょうか、そうして構えたところをバットで何十回も叩かれたのです。通称「尻ビタ」というお仕置きでした。
これがまた慣れない最初の頃はメチャ痛いのです。ですが慣れてくると痛みを軽減できるコツを習得しちゃうのですが、軽減できるにしても痛いものは矢張り痛いですがね・・・。
叩く先生も十二分に「叩き方」を熟知しているから骨折するなどという危険が無いので、TV番組の告知ではないですが「危険ですので絶対にマネはしないで下さい。」と一言付け加えておきたいですね〜。
でも今思えば、そんなお仕置きをされても当然だったと思います。人に石などを投げて大怪我をさせてしまったのですから〜・・・。いくら叱られても殴られても当たり前だったと思いますし、様々な「痛み」を教えて頂いていたんでね〜、今だからそう思います。
相手の生徒の怪我は、眉間(急所)からわずか数ミリ外れていたから大事に至らなくて済んだだけで、とても危なかったと聞かされました。本当にわずか数ミリだったそうです。
後で本人の所に謝りに連れて行かれ包帯を巻いた相手の顔を見た時は、さすがに自分がしでかした事の大きさに驚きと反省をしました。「怪我だけで済んで本当にヨカッタ〜!」本当に「助かった〜」とこの事も後でそう思いました。「身の程知らず」「怖いもの知らず」という時期が私には長くありましたね〜・・・。
どの先生も「必ずや卒業して社会に出たら、きっとどの生徒よりもまず真っ先に、鈴木真樹生は行くであろう」と想われた「行くべき所」によく行かずに済んだものだと、我ながらそう思います。
矢張り何かに助けられ、守られていたのですね〜、そんなどうしょうもない私でも・・・。
≪あとがき≫
この事件をご存知の先生が今札幌に居らっしゃいますが、その先生が「鈴木真樹生を知らない教護員はモグリだ!」と云われるのですが、それくらい大変有名な生徒(問題児)だったそうです。勘違いでしょうが本人は、今でもそれほど問題児だったとは想ってはいないのですが、その先生いわく、第四章前の「チョット一服」に掲載しております「大沼学園」の写真等の掲載許可を学園にお願いした際にお話をさせていただいた先生が高橋先生と申しますが、唯一私を知っている先生でした。今はもう大沼学園には実際に私を知っている先生はお一人も居らっしゃらないと思っていましたが・・・。
ですから荒町真樹生(旧姓鈴木真樹生)と名のってこちらの意向をお話しましたら、高橋先生は遠い昔の生徒であるにもかかわらず、「鈴木真樹生君という生徒の名前は今でも記憶に残っているよ・・・。」と電話の向こうで云って下さったのですから本当に記憶に残る問題児だったのでしょうね〜・・・。
でもそのとき私は、嬉しいやら懐かしいやらで何がなんだか分かりませんが、涙が溢れてきました。何だったのでしょうね〜・・・
話を戻しますが、ですがその電話で直ぐにお返事は頂けませんでしたが、そんな甲斐あって園長先生をはじめとして皆様に協議ご検討していただいた結果、後日掲載許可の連絡を頂いた訳ですから・・・。
私としては、必ずや私の意向を理解していただき、掲載許可を下さると信じていました。
「心ある、正しき経験と良識を持つ皆さんの判断だからと。」でも正直なところ、掲載可否のご連絡を頂くまでは不安で一杯でした・・・。真の「人を信じる心の芽」を失わずにすみました。
何十年経っても忘れられないほどの問題児だった私だったかもしれませんが、そんな時の私が今こうして自分のためではありますが、役に立ったのですからありがたいことです。
当時の「所業」の良い悪いは別として、このように大沼学園(当時大沼学院)在籍中は色々と問題を起こしている訳ですが、今回はここまでとさせて頂き「今日在る自分」を感謝して筆を止めさせていただきます。
平成16年11月1日
荒町真樹生
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