第3章 「選択の誤り」
≪前回まで≫
前回は小学3年の冬に、児童相談所から大沼学院に行くことになったところ迄でした。さて、今回はその自ら望んで行くことになった、大沼学院のことを書いていこうと思いますが、実際体験するのと聞くのではとんでもなく、エライ違いがありました。
地獄から天国の地へと足を踏み入れたはずなのですが・・・。
地獄からの逃避だったはずが・・・
児童相談所の先生が同行で、汽車で大沼学院に向かうその日の午後、それも夕方に近い時間に大沼に向かいました。その汽車の中で先生と何を話したかは全く覚えていませんが、とにかく大沼学院に着いたのは夜遅くでした。暗闇の中、函館から車(学院の公用車)に乗り換えて大沼学院に向かいましたが、学院に近くなるにつれて周りには山ばかりだったので「大沼学院って山の中なんだ」と感じ、あまりにも写真や話とは違う所に感じたので「西條先生に騙された!良いことばかり云って、こんな場所にあるなら絶対行くって言わなかったのに!」と恨みましたね。
(後悔先に立たずでしょうか)
同行された先生に、児相(児童相談所の略)に「戻りたい!」と言ったかどうかは覚えていませんが、着いた時点でもう後悔はしていました。
何で自分だけ「こんな辛い思いをしなきゃならないんだろう、自分だけが悪いんじゃないのに!」と、自分が気付かぬうちに産んだ親を恨むようにもなっていたように思います。
親は誰なのか分かってないに・・・。
のちに思ったことではありますが、
「自分は何のために生まれてきたんだろう?」と次第に親を恨む気持ちが強くなっていった自分がいました。 パパー!ママー!と呼ぶ言葉の重さ何で産まれてきたのだろう!?
「自分は産んで欲しいと頼んだわけでもないのに!」
「勝手に産んでおいて、ほったらかしにして!」
「言うことを聞かないからといって、あっちにやり、こっちにやり!」
「自分は物じゃない!感情も心も持つ、みんなと同じ人間だぁー!」
「どうして自分がこんな目にあわなきゃならないんだー!」
何のために・・・。
ただ辛くて・苦しくて・寂しいばかりで・・・。
同じ人間で産まれてきているのに・・・。
同じ年頃の子が親と手を繋ぎ嬉しそうに歩く、幸せな家族。
公園で親に優しく見守れながら、滑り台で遊ぶ姿。
「パパー!ママー!」と呼ぶ声。
世間では当たり前の(日常よく耳にする)その「パパー!ママー!」と呼ぶことさえ私にはとっても羨ましく感じました。
誰が自分の親なのか、どうして自分は「パパー!ママー!」と素直にそう呼べないのか。
自分はどうして産まれてきたのだろう?
何のために・・・、どうして!?
普通の家庭に産まれ、ごく普通に育っていればこんな話はコッケイな話かもしれません。「親なんだからパパー、ママー、父さん、母さんって呼ぶぐらいどうってことない、当たり前のことなのに、それが出来ないなんて、その方がおかしいよ!」と思われるのが関の山。
実際、そう言われたことがあります。そのときは、「そうだよな〜、それが普通だよな〜、やっぱり自分が変なんだよな〜」と妙に納得していました。「そんな当たり前で、ごく自然なことが出来ないで抵抗を感じていた自分がヤッパリおかしいんだよな〜!」と思いながら、自分という人間が解らなくなっていました。
「自分は何なんだろういったい!?」
「どこかおかしいのかな〜?」
と本当に自問自答をすることが多くありました。
「パパー!ママー!」「父さん!母さん!」と呼ぶことがどれほど勇気がいたことか。
自分の意思で面と向かって「父さん!母さん!」と言ったのは平成8年の5月に初めて「父さん!」と声を掛けたのがキッカケで、母を「母さん!」と呼ぶようになれたんです。ですが、そのとき「父さん!」と声をかけた時には、信じられないかもしれませんが大変な勇気が要りました。
「父さん!」と呼んだ、キッカケとなる出来事はいずれお話し致します。
このまま書き続けると話がそれ続けますので大沼学院に戻しましょう。
寮の「しきたり」と「掟(おきて)」
学院に着いたら寮長(先生が)が迎えに来ていて、そのまま外灯もあまり無い暗闇の中を歩いて向かったところは芳泉(ほうせん)という寮でした。そのまま先生の後をついて寮の中に入り、ある部屋の扉を開けたのですが、目に入ったのは随分と大きい生徒ばかりが沢山いて、勉強をしている最中の自習室というところでした。私が入って行った時のみんなの覗き込む目は、殺気を感じました。小学3年の私にとっては蛇に睨まれたカエルのように感じました。
先生が私を紹介し、最後にみんなに云った言葉が「イジメたら駄目だぞ!ちゃんと面倒をみてやるように、いいかな!?」と云った言葉でした。その言葉が私にとっては、さらに恐怖感を感じさせたのです。怖い事とか、嫌な事とかは本当によく覚えているものだと思います。
(本当に忘れさせてはくれません)
その寮には小学生はおらず、みんな中学生。教護院という所なだけに、それ相応の事情があって入って来ている生徒がその当時は多かったのでした。後で知りましたが、傷害を起こして入って来ている青少年も居ました。とっても怖かったです。親爺(亡き妹の実の父親)の袋叩き地獄を経験しているとはいえ、矢張り非常に怖かったです。
同じ仲間とはいえ、児童相談所みたいに同じ年頃の仲間が居ないのですから・・・。仲間が居ないということはある意味、死を意味するのです。大げさに思うかもしれませんが、施設や教護院、少年鑑別所(通称)別鑑や少年院などに居た経験のある方なら分かると思いますが、大なり小なり新米にはそこの掟(ルール)を教えさせられます。
誰がここのボスでどんな掟があるのかを身体で教えられるのです。まるでサル山のお猿さんのようです。
その掟を破ったり、ボスに歯向かったりすれば先生方の目の届かないところで仕返しをされます、それはすざましいものです。(小学校3年生の私にとっては)教護院でさえそうなのですから、新米は生き続ける術(すべ)を身につけておく必要があるのです。
傷や被害を最小限にする術が必要なんです。「朱に染まれば赤くなる」ということわざがあるように、見ザル・聞かザル・云わザルになってしまうんですねこれが・・・。「言わザル」を「云わザル」という言葉を使ったのには意味があって、仲間のことを先生に告げ口をしてはならないという掟があるからです。
寮の様子と見取り図
記憶では当時その芳泉寮には、11名の生徒が居たと思います。寝室は3部屋あり、そのうち2部屋を使用して1部屋は使用していませんでした。
今思えば推測ですが、3部屋を監視するのは先生も大変なので2部屋にまとめていたのではないかと思います。私が寝る部屋は、先生ご夫妻の部屋に一番近い部屋でした。
ここで寮の中の様子と見取り図を説明しておきましょう。1階平屋建ての横広がりの感じの建物で、外から寮を正面にして立つと右から3分の1手前あたりに玄関があり、正面が一般の家でいうリビングのような(当時その部屋を何と呼んでいたか忘れました)20帖から24帖ほどの広さの部屋があり、そこには卓球台がありました。
玄関を入って右側に寮長(先生)ご夫妻が住む部屋があり、縦長にあるリビングの手前左側には廊下が伸びていて、廊下の左側に8帖ほどの部屋が3部屋ありました。
右側には手前から、自習室・洗面所があり、洗面所を入って右に浴室・左に便所があるという配置の寮でした。
こんな説明でお分かりになるでしょうか。それと児童相談所と大きく違ったのは、先生の部屋から廊下に向かって寮内部を監視できる監視窓があり、その小窓が鏡になっていた事です。
これには驚きました。常に監視されていて、自由がない所なんだなと思いました。その監視窓に一番近い部屋が自分の寝室となったわけです。
消灯は9時で、それまでに歯を磨き廊下に部屋順に横一列に並び、全員が集合したところで、週番(生徒)が確認をしてから先生のところへ「全員揃いましたー!」と呼びに行きます。
先生が出てきて週番が「点呼!」と云うと、右から順に番号を云い週番が最後に「11名、異状ありません!」と先生に報告する。先生が「はい、」と云うと、全員で「おやすみなさい!」と云って各自、自分の寝室にいくのですが、ここからが西條先生から聞いた話とは全くかけ離れたことが起きたのです、布団に入ってから・・・。
「耐え忍べば道は開ける」なんてとんでもない!
新米は、入ったその日の夜に洗礼を受けるのです。布団に入ってすぐに、部屋長から「お前は何処からここに廻って来て、何をしてここに来たんだ」とか「親はいるのか、いないのか」とか「親はどんな仕事をしているんだ」とか、まるで警察で事情徴収を受けているみたいに事細かく聞かれるのです。怖いという防衛本能から「父親は強くて自分に危害を加えようものなら仕返しされるんだぞ、だからイジメるな」と言わんばかりに過剰までのホラ(嘘)をついて自分を守ろうと必死に答えるのですが、ホラは既にバレているわけです。(過剰すぎて)
でも当の本人は必死で答えているので相手が信用しているかなど考える余裕など全く無く、聞いている側も手馴れているから信用した振りをするんです。こちらとしてはとにかく今日という日が早く過ぎ、次の朝になって欲しいと願って布団に顔を潜り込ませ耳をダンボ状態(耳をすまし)にして物音に怯えながらいるのです。
眠らずにいればよいのですが、そうもいきません。いつの間にか眠ってしまっていて、目が覚めたのは体に重いものが圧し掛かり、二度三度と蹴飛ばされた痛みで目が覚めたのでした。 それが洗礼「太陽は沈まない」というリンチでした。
その圧し掛かっているものは、3枚或いは4枚ほどの掛け布団で、大声を出しても声が外に洩れないように布団の隅を何人かで押さえつけているのです。ただただ体を丸め、痛さと息苦しさに耐えるしかないのです。
どれほどの時間だったかは分かりませんが、親爺に袋叩きにされた痛さよりは布団が掛かっているせいもあって痛くはありませんでしたが、矢張り痛いものは痛く、さらに蹴飛ばされるのが終わったかと思えば布団を剥がされ畳の所で正座をさせられるのです、朝までです。
睡魔に襲われ、座りながらでも眠ろうとすると、正座している直ぐ横で寝ている監視役に「おい!寝るな、このやろうと!」と布団の中から足が飛んできて背中を蹴られるのです、こんなことが結果4日間続きました。
叩くのにも決して顔は叩かず、蹴るにしても衣服から出ている部分は決して蹴らないのです。
見えるところにアザをつけることで先生にバレル(見つかる)ことを充分心得ているのです。
何でも経験すれば良いってもんじゃない!
そんな非常に陰険で悪質な、要領の良いやり方を覚えたのもこのことがキッカケでした。こんなことがこれから毎日続くとは想ってもいませんでしたが、4日間続いたときにはさすがにこのまま黙って耐えているだけでは気が済まないと、面前(先生を始め生徒みんな前)でこんなことが行われていて本当に先生は知らないでいるのか、知っていて知らない振りをしているのではということを確かめようと5日目の自習時間に、みんなのいる前で、先生に聞いたのでした。 「先生!」っと言ったとたん、みんなこちらに注目、特に上級生のあの目の睨みはすざましいものでした。親爺の、今にも殴りかからんばかりのあの目と一緒でした。「云うなよ!いいか、あのことを云ったらお前、もっとやられるんだからな!」と云わんばかりの目つきです。
幼い頃からの環境のせいか、人の目つきや仕草には異常なくらい敏感になっていましたから、何を云わんとしているかは小学3年生といえども判りました。また、そういう年頃だから敏感だということがあるかもしれませんが。
私の体験から、幼い頃にこんな経験をしないで済むものならしないに越したことはありません。いえ、むしろこんな経験は幼い子供には決してさせてはいけない経験だと自分の体験を通じて思います。
それが我が子なら・・・よけい。
そのような体験をした子が大人になったときに、どれほどの子が社会復帰できるでしょう、ほんのごくごく一握りの子供だけではないでしょうか。経験者である私だから思いますが、本当にごくごく一握りの子供だと思います。
そんな子供を何とか更生させようと福祉関係の先生方や専門のお偉い先生様方が日々努力されておりますが、当の本人にしてみれば所詮戯言なのです。幾ら理屈を並べられても、幾ら怒鳴り、殴りつけられても、かえって火に油を注ぐようなものになってしまうことが殆どです。
確かに本当に我が身をかえりみず、誠心誠意、努力されている先生方はおられます。また、そうあって欲しいと願ってもいますが・・・。何よりそんな子供達の心を開いてやるには、理屈や一般常識を翳したところで何の意味もありません。
まして学歴や地位などは「昔はなー!」とか「今の若いもんは!」などと言ったなら最悪です。その痛みを知らぬ者に、その「真の」痛みは判りません。たとえ理解できたとしても、いくら理屈で分かったとしても、真実は矢張り体験した身体で経験した者でなければ理解してやることはとても難しいことではと、自分の経験からそう思います。
器は自らの手で磨き育てるモノ
仕事でもそうだと思います。経営者だからと机の上で幾ら偉そうに陣頭指揮を執ったところで、こんな厳しい時代に成果は果たして上がるでしょうか?姿形は違へど、現場で働く者と共に汗水垂らして痛みや辛さに耐え、必死に頑張って陣頭指揮を執る者が経営する会社は将来性があるのではと私は思うのです。それは矢張り、信頼ではないでしょうか?
信頼だけでは会社を維持存続は出来ませんが、でも一番大事なことではないかと思います。もちろん、経営者としての器が無ければ幾ら頑張ったところで厳しいものがありますが。ですが、その器は磨くことで大きくできる代物で、磨けば磨くほど光り輝く高価なものだと私は信じています。
自分で磨かなければ、光り輝かない不思議な宝石。
いくら他人に磨いて貰っても、決して光り輝くことの無い「不思議な宝石」
自分のだけが持つ「不思議な宝石」
それもこれも結局は自分次第ではないかと思うのです。環境がどうであろうと、どんな者であろうと「人格」をひたすら磨く努力を惜しみなく心掛けたら・・・。たとえ私みたいな、どうしょうもなかったクズであったとしても「気づいた時期(とき)」から、その努力を惜しみなく心掛けたら、必ずやチャンスはあると思うのです。
叶うも、叶わざるも「自分次第」だと自分の経験を通して感じ、そう信じたいのです。話が脱線しましたが「自分次第」です、誰のせいでもない。
「気づいたその時期(とき)」からは「自分次第」なんです。
いつまでも嘆き立ち止まっていても、人生は待っていてはくれない。
「待ってくれー!」とあとで叫んでも待っていてはくれないのです。
勇気と感謝という垂れ幕を掲げ自分と戦って欲しいです。
私も、チャンスは必ず自分にもあると信じ、今もそしてこれからも命ある限り自分と戦い続けるよう自分と戦い続けます。いずれは訪れる、命の灯火が消えるその時期(とき)までに、たとえチャンスが訪れまいと悔いはありません。
命の灯火が消えるその瞬間に「お前はクズでどうしょうもなかったけど、でも一生懸命立ち直ろうと最後まで頑張って来たな!よく最後まで自分と戦かった!」そう褒めてやれる自分がいたなら、それで本望です。(所詮クズ)
確かに結果は大事です、社会では結果が全てという風潮がまだまだありますが、それ以上に私にとっては経緯(足跡)が大事なんです。
自閉症の前兆か!
クズにはクズの人生があるんです。かなり脱線してしまいましたが「結果はどうであれ、悔いだけは残したくない」こんな気持ちが小さい頃からあったのでしょか、先生に「太陽は沈まないっていうリンチ知ってますか」と先生に半信半疑ながらも救いの手を求めて聞いてしまったのです。先生からは「何だ、その太陽は沈まないっていうリンチは?」と返事が返ってきたのです。私は、先生は本当に知らないのだろうか!?知っていて知らない振りをしているんじゃないかと、先生に対しても疑いを持ってしまい「いえ、自分もよく分からないんすが・・・」で終わってしまったんでが、そのあとを先生に期待してたんです。
先生が他の生徒に「太陽は沈まないっていうリンチとは何なんだ、部屋長!」と聞いてくれることを。心の中で叫んでました「先生―!聞いてください!お願いです!誰かに聞いてください!」と。
ですが何もなかったかのように先生は自習室を出て自分の部屋に戻ってしまいました。そのあとの先生のいなくなった自習室の様子は言うまでもありません。異様な静けさがしばらく続き、それがまた時間の長かったこと。その場から逃げることも出来ず声を出すことも出来ない状態、このまま何事もなく今日という日が過ぎ去ってくれればと願うばかり。
ですがその願いが叶わないことは肌で感じていました。その口火を切ったのが部屋長でした。今でもその部屋長の名前は覚えていますがお名前は伏せておきます。きっと彼も入所してきた時には、私のようにされたと想うからです。加害者でもありながら被害者でもあるのですから・・・。
これ以後の出来事は次回に書かせて頂きますが、こんな体験をさせられたらどんな子でも人生の道を踏み外して当たり前のような気がします。当時の自分を振り返って診ればみるほど、私自身「よく、今こうしているな」と思うくらいです。
今、こうしていられるのも多くの皆さんのおかげだと感謝しております。確かに自分はこんな人生で終わりたくないと願い、自分なりに努力はいたしました。ですが、それに気づかせてくれたのは「多くの皆さま」のおかげであることにかわりはありません、そしてこれからも・・・。
ありがとうございました、心から感謝しております。
そしてこれからも宜しくお願いいたします。
そして何よりも、産んでくれた母に心から感謝しています。
平成16年7月1日
荒町真樹生
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